『私は貝になりたい』の著者である加藤哲太郎が所長を務めていた新潟俘虜収容所で俘虜として体験したことを証言した書。
わずか18歳のカナダ兵が香港攻防戦終了後、捕虜となり、香港と新潟の俘虜収容所で日本軍による筆舌に尽くしがたい虐待を体験した記録である。
香港陥落は1941年12月25日だから、著者は太平洋戦争中ほとんどの時期を日本の捕虜として生きたことになる。
回想記だから些事に関する記憶違いもあろうが、全体として記述はリアルで、自分のおかれた立場を客観的に認識しようとする姿勢が一貫している。
少なくとも、史実に対する偏見は全く感じられない。
それだけに、香港を占領した日本軍が、南京を占領したとき同様にふるまった事実は、巻末のアルゼンチン領事の証言とともに生々しい。
日本軍が管理する俘虜収容所では、捕虜にまともな食事を与えず、患者にまともな治療を与えないで強制労働を課した。
虐待による犠牲者が出ることは、日本軍にとって自明のことであり、当然のことだった。
著者は、1945年夏に出されたという寺内寿一元帥の「敵軍の日本上陸と同時に、俘虜全員を射殺せよ」という命令に何度も言及している。
寺内は同年5月にビルマで降伏しているから、彼の命令でなかった可能性が高いが、日本人の総「玉砕」を叫ぶほどの軍部が、後日の戦犯裁判を恐れたか、あるいは捕虜が地上戦の足手まといになることを恐れたか、いずれかの理由で、皆殺しを指示したのは事実だろう。
幸運にして生還を果たした著者は、戦犯裁判にはかかわらなかったようだが、捕虜虐待の直接的責任者だったコジマ某が無罪となったことを書き記している。
加藤哲太郎は、『私は貝になりたい』で自ら描いた自画像とはずいぶん異なり、粗暴で無慈悲で滑稽な軍人として描かれている。
加藤とカンボンは虐待した側とされた側であり、両極端の立場にあった。
その意味で、いずれもが真実と言えるのかもしれない。