前半は現在の介護労働について、後半は団塊ジュニア世代についての分析。
社会学的な分析に慣れていないので、分析自体にどういう意味があるのかわからない面もある。
介護が産業化されて以降、かつて主婦のパートによって担われていた介護労働は、若者の就職口としてメジャーな存在になった。
「デモシカ教師」などという言葉があった(現在は死語化した)が、就職難のトンネルをくぐり抜けた今、「しか」はともかく「会社勤めの先がよく見えないから介護でもやってみるか」という発想は、普通になった。
介護労働の水準が法的に定められると、労働の中身のマニュアル化は必至となる。
しかし、介護の仕事は基本的に感情労働だから、その現場は工場とは異なる。
介護の専門性などという話になると、論点は、自分の仕事とも共通してくる。
ある程度のマニュアル化は可能だとしても、人対人の仕事の完全マニュアル化は不可能である。
介護労働の核心は著者が言うように、「気づきの仕事」だから。
教育と同じく、介護の仕事に終わりはない。
どれだけ気持ちを入れて仕事をするかによって、達成感および成果が左右される。
仕事の達成度はまた、計測不可能である。
かくて、働きすぎという悲惨な現実がもたらされる。
その解決策として著者は、介護の仕方をユニットケアから集団ケアへと戻すことを提案しているが、それでは介護の質の低下は不可避な気がする。
本書後半は、膨大な「ニート」という形で社会に沈んでいる団塊ジュニア世代(なかでも「平成不況」期に就職活動を行った際の挫折から立ち直れないままの人々)の現状と未来についての考察である。
この世代のかなりの部分が正規雇用からこぼれ落ち、非正規雇用に甘んじるか、職に就かないままパラサイト化している。
彼らは今、社会の不安定要因ではないが、将来的には、その親を介護する経済力を持たないばかりか、親の世代が人生を閉じる費用さえも食いつぶしかねないという。
根本的には、彼らにやりがいある定職を与えることができる社会を作るしかないのだろうが、対処療法も必要だ。
著者は、仕事以外の場での自己実現が可能な仕掛けが必要なのではないかという。
それでは、単なるガス抜きに過ぎないのではないか。
その点については、今ひとつ納得いかない。