労働が流動化させられ始めてから10年ほどになる。
コスト主義は、合理性という美名のもとで、あたかも自明の真理のような顔をするに至った。
労働はいちだんと苦役性を強めたといえる。
一方で労働の苦役性を隠蔽するための目くらましも巧妙に構築されている。
著者は、バイク便ライダーについて体験を交えて分析している。
バイク便ライダーがワーカホリック化しやすい要因は、バイクという趣味のツールを使って仕事ができる点、業務委託=歩合給であるため命を削って走れば高収入が可能である点などにある。
趣味性・高収入など、若者を蠱惑する重要ポイントは押さえられているといえる。
さらにもう一つ、著者は、慢性的に渋滞する都会の道路を走るスピードに関する限り、バイク以上にスピードの出せるツールはないから、スピードに対するプライド(限られた条件の下でしかないのだが)を満足させることができるという点も指摘している。
これなどは体験してみないと、理解しがたい部分である。
労働の現場には、光と陰つきものだ。
光と陰が誰の目にも見える職場が、病んでいない職場だと思う。
誰もが大きな声を出し、ハツラツと働いている職場から、ひっそりと身を引いていく労働者が必ず存在する。
彼の背中からは、挫折・敗北・不安定雇用への不安が読みとれる。
彼のあとに続くのが誰であるかはわからないが、それが自分ではないという保障など全くない。
コスト主義は人の連帯をガンのように蝕む。
酷薄な世の中に出ていく人を育てなければならないのも現実だから、そのような教育をしなければならない一面もある。
が、コスト主義・競争社会が自明の論理だなどとは、決して考えてはいけない。