新潟日報社『角栄残像』

 キングメーカーとして自民党に君臨していた田中角栄氏が病気に倒れた以降、新潟県政界がどのような力関係にもとづき、どのような方向に向かっているかを分析した書。

 他県人であり、そもそも政界のパワーポリティクスになど関心はないが、田中氏という強力な政治力を失ったあと、新潟県がどのように進もうとしていたのかには、興味がある。

 道路・新幹線の建設を中心とした公共事業による生活・産業基盤整備は、田中氏の剛腕によって可能になった。
 田中氏がその先をどのように考えていたかはわからない。

 田中氏は、産業基盤が整備されれば企業が進出し、近県や関東から新潟へ出稼ぎに来ると豪語していたらしいが、それはあまりに脳天気すぎよう。

 むしろ公共事業漬けになった新潟の政界・経済界では、地道な地場産業振興より、派手な開発話に関心が集中するようになったように見える。
 それはまた、日本全体の動向でもあった。

 よかれ悪しかれ、田中氏には一つのポリシーがあったようだが、その後の新潟の政治家たちは、スケールを小さくした田中氏の亜流をめざそうとしていたとしか思えない。
 いかに多くの予算をぶんどってくるかだけが政治なのではなく、その予算で何を実現しようとするかが問題だったのだが。

 田中以後の日本は、バブル経済に浮かれ、さらにその後遺症に沈んだ。
 バブルの一局面をなしたリゾート法は、開発話や工事によって金を動かすという、田中氏の手法の延長上に位置していた。

 田中氏には、基盤整備によって何を実現するかという構想がなかったのか。
 だとすればやはり、そこまでの政治家でしかなかったのだろう。

(ISBN4-88862-337-6 C0031 P1300E 1988,4 新潟日報社 2007,9,30 読了)