畠山剛『むらの生活誌』

 岩手県岩泉郡有芸村肘葛地区の暮らし方が、昭和初期から現在にかけてどのように変化してきたかを、丹念な調査によって記録した書。


 この本を読むと、山村の近代史は3つの画期を経験しているようだ。

 最初は自給自足時代。

 穀類は焼畑で生産されるが、それだけで主食をまかなうことはできず、ミズナラなどの木の実類も食べられていた。
 牛馬は、肥料作りと現金収入のために飼育されており、飼料は自家製だった。
 穀類や木の実類の精白はもちろん、自家で行われた。
 衣類もほぼすべて自家で生産された。
 道や川の普請を始め、集落の管理や大きな農作業は、共同作業で行われた。

 養蚕や山仕事も同時期に盛んだったというが、自給自足的な暮らしの中でこれらがどのように位置づいていたのかは、やや不明。
 養蚕と山林労働は、非自給的な仕事と思えるがどうか。

 次の画期は、炭焼きが開始された大正末である。

 薪と比べれば、炭ははるかに使いやすい燃料だった。
 炭の使用もまた、燃料革命だったのだろう。

 炭の原料は当時まだ豊富に存在したし、何よりも、炭焼きは数少ない現金収入の途だった。
 近代において山村が最も賑わったのは、この時期から戦後の大伐採時代にかけてだった。
 この時代が山村の正常な姿だと誤解すると、山村の本質が見えなくなる。

 商品としての木炭は、最寄りの港や停車場まで搬出されなければならない。
 山村にとって、道路問題は未解決のままだった。

 この村に道路や電気などの生活基盤が整備され、水田が開かれたときが、第3の画期となる。
 この点、田のない秩父とは、様相が異なる。
 こちらでは、大伐採時代が終わり、人工林の植栽が一段落した時期がその時期にあたるかもしれない。

 現金なしには日々の暮らしも農業も成り立たなくなり、農林業では現金収入が得られないとなれば、土地も村も、放棄されるよりほかなくなる。

 こうやってみてくると、現金収入の得られる稼ぎ方に問題の原因があるようにも見えるが、それは違う。

 近代日本のやり方で間違っているのは、所得配分のやり方ではないかと思う。
 市場経済には、戦略が存在しない。
 市場経済の合理性とは、直面する利害に対しどう対処することが利であるかという判断の総体に過ぎず、近視眼的合理性といわざるを得ない。

 国土の特徴に合致した国のあるべき姿を描いた上で、現実をどのようにして理想に近づけていくかを考えなければならない。

 基盤整備や農業機械の導入が間違っていたのではなく、それを市場原理のなすがままに放任し、農業者の自己責任に帰したのが、間違いなのである。

 政治家がよく、農政を改革するなどと言っているが、小手先の修正ではなにも解決しない。
 グローバル化を阻止すると言わない政治はニセモノだ。

(ISBN4-88202-283-4 C0039 P1700E 1994,2 彩流社 2007,9,29 読了)