関越トンネルを抜けてしばらく走ると、湯沢町の異様な光景が見える。
バブル経済のモニュメントともいうべき、リゾートマンション群である。
この本が書かれたのはバブルの最中だったから、「バブル経済」の語はどこにも登場しない。
また、この後まもなくバブルが崩壊するという予感さえ、感じられない。
その点、ルポとしていかがなものだったのかという感は禁じ得ない。
本書が書かれたのは、湯沢におけるリゾートマンションの建設ラッシュがピークを越え、日照・水道・ゴミをはじめとする諸問題が顕在化した段階だったようだ。
それはそれでまた、貴重なレポートといえるだろう。
湯沢町の問題点の一つは、町作りに関する基本方針が存在せず、問題が発生したのちにも、主体的な解決の仕方が図られなかった点だろう。
その原因は、田中角栄的な行政手法に馴れ、中央から持って来られた公共事業に依存する地域の産業・政治構造に安住していた点にあるのかも知れない。
田中氏の功績は、新潟のインフラ整備に政治力を発揮した点にあるが、インフラをどう活用するかは、地域が考えなければならなかったはずだ。
町が考える前に、中央の不動産屋と土建資本が、湯沢リゾートという砂上の楼閣をあたかも実現可能かのごとく描き出してしまったのだろう。
ところがこの当時、湯沢町だろうがどこだろうが、あのように厖大なリゾートマンションに対する需要など、客観的には存在し得なかった。
山の自然は、人を永遠に惹きつけてやまないが、ゲレンデスキーという一種の遊戯の流行が永遠に続くと考えたのも、安易だった。
巻機山スキー場化計画はひとりぼっちの叛乱によって阻止された。
この計画が日の目を見ていたら今ごろ、巻機も清水集落もすべて失われ、廃墟と化していただろう。
結局のところ、町や村が地域の自然条件に応じた暮らし方に自信とプライドを持つことによってしか、腰の据わった将来像を探り当てることはできないのだ。
日本でそれが限りなく困難な原因は、効率性第一主義・市場経済第一主義が、国政の中枢をむしばんでいるからだ。
国が亡国的な産業政策を維持し続けるのは、政治家が独占資本からカネをもらい続けているからだ。
1950年代までの日本の農業は、難行苦行を絵に描いたような感じだった。
農林漁業の機械化は、労働負担を軽減することによって産業をむしろ振興させる契機たり得たはずだ。
それができなかったのは、すべてを市場法則のなすがままに放置した国政の無策が原因だ。
補助金漬け農政などと言われるが、リゾート法は、第三セクターの名の下に土建・レジャー資本に公費を提供し、アクセス道路や新幹線を公費で建設し、事業者の税負担を免除するいう、背任行政だった。
リゾート狂乱の時代から、もっとしっかり学ばなければならないと痛感する。