サブタイトルに、「ヒエと木の実の生活史」とある。
山村における食とは、いかなるものだったのかという基本的な問題について、今までの歴史学はあまり関心をよせてこなかった。
本書は、聞き取りという、主として民俗学的な方法によりつつ、文献や実験を交えながら、岩手県北上山地における焼畑と木の実食の実態を明らかにしている。
本書の描く山村は、網野善彦氏らの方法によって明らかにされてきた山村社会とは、また異なっている。
日本の農山漁村は、自今完結的な自給経済などではありえず、人やもののダイナミックな交流・流通関係の中にあったと、網野氏らは論じた。
これに対し、畠山氏は江戸時代までの山村は基本的に自給自足経済だったととらえているようだ。
山村における庶民の食生活について実証的に分析した本に、初めて出会うことができたという思いだ。
このような知識なしに、山村文化を語ることはできないはずだが、実際のところ今まで全く無知だった。
今までたとえば秩父地方の庶民の暮らしについて、「主穀・雑穀の生産だけでは自家の消費量をまかなうことができないので、農間諸稼によって経営を補完していた」などと曖昧に想定していたのだが、一般の人々のカロリー源については、山の木の実や焼畑で生産される雑穀などをきちんと位置づけなければならないことがわかった。
消費という観点からすれば、買った米を食べた方がリッチなのだろうが、お金がなくては米は買えないし、米が売ってなければやはり買えない。
それでは米を作ればいいではないかということになる。たしかにそうだが、米作りだけに全身全霊を傾けていたら、米が不作だったとき、やはり食べるに窮するだろう。
米も麦も雑穀も作っていれば、米がだめなら麦、麦もだめならヒエ、それもだめならドングリを食べることができる。
ただしそのためには、麦や雑穀やドングリの可食化技術を保持していなくてはならない。
現代人には、そこが決定的に欠けている。
今住んでいるところも、すぐ近くに焼畑地名がある。
この本によれば、今住んでいる集落名も焼畑地名らしい。
焼畑についての伝承は聞いていないが、急斜面を登った先のわずかばかりの緩斜面を耕してサツマイモを作っていた話なら、聞いたことがある。
そんなに身体を酷使していたのでは長生きなどできないのではないかと思えるが、ご近所の多くは比較的長命である。
中近世の山村は、税制面で比較的恵まれていたのではないかと考えている。
秩父事件の際に「徳川の世にする。無年貢三ヶ年!」と叫んだ人もいた。
日本の山村が虐げられるようになってきたのは、近代に入ってからのことなのではないかという疑いが出てきた。