田中角栄氏の集票構造がいかに形成されてきたかを丹念に追ったルポ。
日本の政治において政治家とは、オモテの権力者であると考えればよいだろう。
ウラに、アメリカにいるようなフィクサーがいるかどうかは、よくわからないが、
日本の政治の場合、政治家・財界人・暴力団などがつかず離れず一体となった権力共同体のようなものが存在するような気がする。
政治家の権力の源は、票とカネである。
カネは他の政治家や官僚を籠絡するのに不可欠。
地元有権者への挨拶料としても、バカにならないカネがかかる。
戦前の政治家だと、政治・政略のための経費を、機密費などという形で血税からかすめ取っていたようだが、戦後になると、さすがにそれほど自由にはならない。
特定企業や業界に便宜を図ったり、公共事業をからませた土地転がしなどによって資金を捻出するという田中氏のやり方は、戦後政治家の資金集めの一つの典型だった。
彼が墓穴を掘ったのは、それが不正な錬金術だった以上、必然的だったのだが、その現象のみで田中氏を評価すると、現代日本の権力構造を見誤る。
田中氏については、なぜ彼が選挙区民・新潟県民から圧倒的に支持されてきたのかを見極めなければならない。
まともな生活を営む上で、道路は、公共交通機関とともに、最も基本的な生活基盤である。
通勤・通学・医療機関への通院ができない場所で、人は暮らせない。
にもかかわらず、旧新潟三区に限ったことではないが、日本人の相当数が、戦後になってなお、そのようなところで暮らしてきた。
菊地武雄『自分達で生命を守った村』(岩波新書)には、岩手県旧沢内村で深沢村長が、画期的な地域医療にさきがけてまず、道路除雪を実現したことが記されている。
日本の農山村は長らく、生活基盤が整わない状態が続いていた。
言っておくが、農山村の人口が少ないから公共投資が少なかったのではない。
農山村の人口が多かった時代もあったのだが、当然のことながら、都市に人口と資本を集中させた方が資本にとっては効率的だ。
国家が資本の成長を優先課題としていた以上、農山村の生活基盤整備など、無駄な投資でしかない。
そうした現実に政治力で風穴をあけたのが田中氏であり、彼の政治力の根源は選挙区民からあたえられる票だった。
すくなくとも高度成長初期までの田中氏は、優秀な政治家だったといえる。
しかし1960年代以降の日本は、「人的資源」の供給地と化した農山村壊滅化の道を本格的に歩み始めた。
農林業が産業として成立しなくなると、土木・建設業が主産業となった。
越山会の変質も、これが画期だったようだ。
越山会の主力が農業者から土建業者に移行し、企業ぐるみ選挙が体制化する。
ロッキード疑獄や一連の土地転がしが露見した時期も、ほぼその前後だった。
田中氏の時代はその後終焉を迎えたが、氏の手法は部分的に今なお生きている。