宇江敏勝氏の『炭焼日記』のコミック版。
炭焼き労働の現場が、淡々と描かれている。
安直なコミックと違って、森の樹木の一本一本がきちんと描いてあるので好感が持てる。
表題に「物語」とあるが、ここで描かれる炭焼きの現場にストーリー性があるわけではない。
人の暮らしは小さなドラマの連続なのだが、生涯全体にストーリー性があるような人生を送る人は、そう多くはないだろう。
人生とは、それほどまでに日常的な日常の連続なのだ。
かような人生のどこが面白いのか。
第一話「木伐り」のエンディングは、次のようなフレーズだ。
とうとうはたちになった けど こんやも 山小屋でねるより仕方なかろう
木を伐り、窯に木を詰め、火入れをする。
煙の色をはかりつつ、ころあいを見て一気に窯出し。
窯の温度が下がらぬうちにまた木を詰める。
炭が仕上がれば、数十キロを束ねて背負い、里へ下りるが、またすぐに山に戻って同じ重労働を繰り返す。
この人生で、何かが達成されるわけではない。
焼けた窯の中での仕事や、背中を圧する重荷を負って歩く仕事は、身体をすり減らし、生命をすり減らしていく。
さほど長くないうちに、人生は終焉するのだが、そこに人生が存在した証など、なにも残らない。
数十年後に、渓を遡行する釣り人が、朽ちた窯跡を目にすることがあるかもしれないが、十中八九、いかなる感興をも持たずに通り過ぎるだろう。
面白くなかろうが虚しかろうが、人はこうやって人生を送ってきたのだ。
燃える火の音や広葉樹林を吹き渡る風の音・動物や精霊のささやきを聞いたり、同様に山を住処とする人々と交歓したり争ったりすることが、人の人生だったのだ。
今もなお、そのことに、何の変わりもないのだが、現代人はどこか勘違いをしているようだ。
本の帯に、「炭ブームの原点」とあるのだが、それにしてもずいぶん的外れだ。