『日本列島を往く(1)国境の島々』同様、島に暮らす人々に取材したルポ。
こちらは、島での暮らしや産業にスポットを当てた作品が多い。
取材対象になっているのは、南大東島、利尻島、隠岐島、屋久島、石垣島。
新潟県に典型的に見られる『基盤整備』が進行したのは高度成長期から1980年代までだったと思われる。
これらの島々の多くは、いわゆる「離島」というより、大きな島に入ると思うが、産業基盤の整備は本土のような形では行われなかった。
それを「基盤整備の遅れ」と表現するかどうかは、価値観にかかわる。
本書のなかでも、屋久島のレポートは、人の暮らし方の本質を衝いている。
海と山と川に恵まれたこの島のひとたちは、ひとつの産業に依存しなくても生きていける。そのときどきに応じて、いろんな仕事ができる。
釣りに出て釣った魚を売り捌いたり、畑でポンカンやタンカンを栽培したり、観葉植物を栽培したり、土木工事に出たり、生活の仕方は幾通りにもある。
人間はその場に応じた暮らし方をすることによって、生息範囲を拡大した生き物である。
人は、環境の変化への対応力によって進化した。
環境を人に合わせようというのでは、退化だろう。
島はこれまで、その立地的特長によって「開発」を進めようとする資本の圧力から、幾分なりともまぬかれ得たが、今これからは、そんなわけにもいかない。。
醜い人工物を構築することによって利益をあげる資本は、人工物は美しいかのように瞞着し、貧困化してもいいのかと脅迫し、場合によっては権力を行使して、わずかに残された価値ある環境を破壊しようとする。
本書は、人間の暮らしはどうあるべきなのかという、ラディカルな問いに満ちている。
さて、おのおの方に、どのような回答ができるだろうか。