サブタイトルに『葛西善蔵の生涯』とあるが、善蔵の生涯を丹念に掘り起こすというスタイルではなく、作品に即して葛西善蔵の生き方と時代を描いた評伝である。
芸術は、真実を描くものでなければならない。
真実の対極は、勧善懲悪であり通俗道徳であり虚名である。
して、明治という時代に文学は何を描かなければならなかったか。
自己の存在を痛いほどに自覚した近代人が表現方法を手にしたとき、描き出されるのは、美しい風景や幸福な暮らしなどではあり得なかった。
毎日の暮らしは惨めだったし、自由は否定された。
身すぎのための小銭を得るのは容易ではない。
それだけならともかく、虎の威を借る小役人やぶくぶく太った守銭奴に頭を下げなければならないことも、しょっちゅうである。
それが真実であるのなら、芸術は惨めさを描くものであるしかないではないか。
作家らにとって最も真実に反すると思われたのが、家庭の幸福であり、地道に構築される日々の生活だった。
このテーゼは同郷の太宰にも継承される。
こんな作家の周囲で暮らすのは、この上なく不幸なのだが、その事実を認めたら作家の芸術は成り立たない。
近代とはそのようなものなのか。
それとも、日本近代特有の悲惨だったのか。