『橋のない川』は空前絶後の人間讃歌である。
その著者が娘に語った回想録。
人間について語る住井さんの口調はいつもこの上なく明晰だ。
どこに根を据えればこのように明快であれるのか、知ってみたいと以前から思っていた。
根性を据えないかたちで人間の平等を語るのなら、さほど難しくもない。
しかし天皇制を否定しないで平等を語ることはできない。
困ったことに、この国には思想や良心の自由が実際のところ、ないも同然で、天皇制を例えば自分のブログで否定するという隠微な抵抗であればまだ見逃される(それでもまったく問題が発生しないことはない)が、「君が代」をうたわないという程度の良心的行動でさえ、人格のすべてを否定されるほどの攻撃を受け、場合によっては職を奪われかねない。
住井さんの哲学の根幹にあるのは、形としては、老子の思想に近いものらしい。
だが住井さんが幸徳秋水の処刑に涙して敵討ちを誓ったのは小学3年生のときだというから、彼女の生き方の土台にあるのは老子ではなく、皮膚感覚的な平等観だろう。
人間の生理にぴったりくる住井さんの論理がどのような体験を経ることによって形成されたのか、とても興味深い。
明治期の農村とは、ナイーブな感性をいたく刺激する社会的矛盾に満ちたものだったのだろう。
その現実を描いた『土』はもちろん、太宰や坂口安吾、宮沢賢治らの芸術の底流にも、その矛盾を凝視せざるを得ない感性の苦悩があった。
その感性がなんらデフォルメされることなく、人間讃歌へと結晶したのは、本書で何度も語っておられるように、住井さんが女性だったからなのかも知れない。