想起するのも忌まわしい、研究成果の捏造事件の検証。
アマチュア考古「学者」だった藤村新一は、1980年代から2000年にかけて、日本における旧石器時代研究をリードした人物だった。
一度だけだが、この男と会話したことがある。
1999年、長尾根丘陵で旧石器時代の石器や住居趾が見つかったという大々的な報道があった翌日、発掘現場に出かけた。
現場は、勝手知ったる札所23番駐車場のすぐ上だ。
現地説明会の前日だったので、人影はまだ、まばらだった。
小走りに坂を登っていくと、いきなり「静かに歩け」とどなられた。
どなったのが藤村だったかどうかは、記憶にない。
現場には、藤村と共に発掘を担当したK氏らしき人と藤村本人がいて、遺跡について説明してくれた。
そこで聞かされたのは、長尾根のローム層からこれだけの遺跡が出土したのは、秩父の歴史が数十万年前にまで遡ることを意味するという託宣だったので、こちらも少なからず興奮し、感動した。
説明のあと、「遺跡」のところどころに置かれた石器の材質について尋ねた。
もちろん、たちどころに明快な解説を聞かせてもらえると思っていたのだが、「現段階では不明」という回答だった。
これはいささか意外だったので、不審に思ったことを覚えている。
許可を得て「遺跡」の写真を撮らせてもらい、出勤後、化石に詳しい上司に見せたら、即座に「そんな時代に角材でできた柱があるわけがない。怪しい」といわれた。
そんなこともあり、どうも腑に落ちないと思ってはいたが、地元では秩父原人祭りが催されたり、秩父原人酒その他原人関連商品が売り出されたりした。
「秩父原人」が100パーセント捏造であることが判明した後、ネットのあちこちに痕跡が残ってはいるものの、秩父市の表看板から原人は完全に消えた。
その後の検証により、藤村「石器」のほとんどが捏造だったことがかわかった。
藤村が、捏造でない遺跡に他所で入手した石器を埋めたことも明らかになっており、その後、高校歴史教科書の先史部分の記述も大きく改変され、日本の旧石器時代史学は、どこからどこまでが捏造でないのかをことごとく検証するという、困難な仕事に直面している。
本書は、なぜだまされたのかを中心に、検証している。
ここから読みとらねばならないことは多いが、その一つは、ベーコンが「劇場のイドラ」と名づけたような学会という世界特有の偏見だろう。
長尾根の「遺跡」で、石器の材質について尋ねたとき、わたしの念頭には秩父のどのような石からこれらの石器が作られたのかという素朴な疑問が生じていた。
数十万年以前といえば、交易などという経済が始まるはるか以前の時代だ。
こんな疑問は小学生でも考えつくだろう。
藤村の業績は、隣接諸学から相手にされていなかったという。
考古学が視野狭窄に陥っていなければ、学問の信頼性をここまで失墜させる前に、手を打つこともできただろう。
「遺跡捏造」とはかえすがえすも、怖ろしい事件だった。