食肉産業の現場ルポ。
本書を含め著者のルポは、現代の民俗リポートという印象がある。
もちろん、現実に存在する矛盾の告発という要素は多分に含まれているが、現代の生活者の生きようを淡々と描く作風は、暮らしの記録としてとても貴重だと思う。
家畜解体場の仕事は、近代化されてもなお、職人的な熟練作業だという。
そういう点でも、刃物をメインに使う仕事という点でも、木材の伐り出し労働などとも共通する部分があるように思う。
この仕事が他と大きく異なるのは、仕事に対するいわれなき賤視が存在した点だろう。
本書を通読しても、家畜解体業が被差別部落とどのような関係にあったのかは、今ひとつ明瞭でない。
明治以降、この仕事は被差別部落以外の人々へも開放されたが、仕事は相変わらず賤視され続けたということだろうか。
どんな仕事にも言えることだが、人間の存在を支えているのは、仕事へのプライドである。
プライドの持てる仕事とはどういう仕事か。
手際のよい仕事。
間違いがなく見た目のよい仕事。
同僚への心遣いの感じられる仕事。
仕事を通じて社会を支えているという実感の得られる仕事。
そんなところだろう。
そういう仕事師を掘り起こしてほしいものだ。
ところで、本書には、国家が家畜解体業を賤視していたことを示す史料が紹介されている。
1906(明治39)年の内務省令に、屠場は「離宮、御用邸又ハ御陵墓ヨリ五町以内」に建設してはならないとある。
家畜解体場を嫌悪しつつ天皇らは肉を喰っていたのだ。
天皇家によるそうしたいわれなき賤視は、おそらく現在も続いているだろう。
貴があるから賤が生み出される。
部落差別を根絶しようとするなら、天皇制をなくさねばならない。
憲法改正の議論をするなら、天皇制の是非を公の場で徹底的に考えるべきだろう。