和竿師松永豊治の一生を描いた伝記小説。
渓流釣りを始めたときにはすでにカーボンロッドの時代だったから、和竿などほとんど見たことがない。
そのせいか、笑われても仕方がないのだが、いい竿とそうでない竿との違いがわからない。
わかるのは気分よく釣りができるか、それほどでもないかの違いくらいだ。
渓流釣り新参者のわたしにとって、和竿は永遠に幻の竿になるだろう。
こちらのサイトによれば、和竿師の系譜は天明年間までたどれるらしい。
漁としての釣りは原始時代からあったと思うが、手慰みとしての釣りが始まったのは、さほど古くはあるまい。
いずれにしても、遊びとしての釣りが普及したのは、天明年間より大きく遡ることはないかと思う。
身分制度がとりあえずなくなって以降の職人わざは、世襲でなく師から弟子へと伝えられていった。
竿師の名跡は、襲名あるいは新しい名跡を名乗ることによって、一門の系譜に加えられた。
今は大衆化している釣りという遊びもかつては、有閑階級の道楽だっただろう。
だからこそ、和竿が工芸の域にまで高められ得たものと思われる。
工芸といっても、竿は魚が釣る道具である。
使い手の手になじみ、かすかな魚信をも使い手に伝え、それぞれの魚独特の引きに堪えて、使い手に魚を得さしめる竿でなければ意味がない。
本書の主人公である松永豊治が生きた時代は、大正末からグラスロッドが登場した1960年前後までだったから、和竿でしか釣りのできなかった時代の最盛期〜末期だった。
というと、和竿師にとって幸福な時代だったかというと、さにあらず。
そのあたりを、本書はみごとに描いている。
関東大震災や昭和恐慌の時代に、日本人は釣りどころではなかったし、まして日中戦争が始まったあとは、「ぜいたくは敵だ」という登山や釣りにとっての暗黒時代となり、ついで太平洋戦争から敗戦となる。
じつに気の毒な時代だった。
こう考えてみると、釣りが大衆化した戦後とは、なんとよい時代だったことか。
ことによると、安価で耐久性があり、ナイロン糸や用意に修理可能なカーボンロッドが普及した現代は、道具の進化に、釣り人の意識がついていかなくなった時代ということになるのかも知れない。