1982年に刊行された同名の書の文庫版である。
歴史の記述に、「日本」ということばが特に吟味されることなく使われているが、その実態がいかなるものだったかについて、きちんと検討されていないのではないかという問題提起の書。
のちに刊行された『日本社会の歴史』(全三巻)として結実する、著者による通史の素描という印象も持った。
日本列島の東西の違いに着目して史実を著者が読み解いてみせると、個々の史実や地域の個性が浮き上がって見えてくる。
詳しい叙述がほぼ室町時代までで終わっているのは残念だが、近世史の中にも東西の個性は存在するだろうし、近代になれば太平洋側と日本海側という、新たな切り口も有効になるように思う。
そもそも自分の理解が浅薄だったのがいけないのだが、歴史の体系化にあたって社会構成史は典型を求めようとする傾向があると考えていた。
しかし東日本と西日本が文化的・社会的に異質であれば、そこに典型を求める意味はあまりない。
考究すべきは、その地域に即して、いかに歴史が展開したかということである。
本書には、生産経済の始まりに際して、西の水田に対し東が畑作中心だったことが書かれている。
西日本は水田耕作の開始が早かった上、大陸からの渡来人によって独特の文化が形成されたのだが、それは西日本の個性なのであって、水田が中心の農業がメインとならなかった東日本が「遅れていた」ということにはならない。
本書に指摘はないが、関東平野など東日本の平野は、沖積平野の上に堆積した富士・浅間などの火山灰によって形成されており、透水性に富むからそもそも水田に適していない。
近世以降の東日本における養蚕業の隆盛は、地質等所与の条件抜きには考えられない。
武力形成期における、東の騎馬・弓矢戦術に対し西の船団戦術という対比も鮮やかである。
しかし著者が「日本列島の脊梁をなす山岳地帯に生きた人々の生活、その中から形成される独自な地域については、まだほとんど解明されていない」と述べているように、とくに平安時代以降、どのような事情で山地に住みつきどのように暮らしていたのか、また時の権力者とどのような関係を持っていたのかについては、よくわからない。
それでも、ノートすべき点はいくつかあった。
まず古代における牧の存在。
秩父に牧があったという記録はあるが、実態はほとんどわかっていない。
そして、「後三年の役」に従軍したと言われる平重能(畠山重忠の父)がいかなる政治的・経済的実態の上に存在していたかという問題。
平安初期に武蔵をはじめとする東国一帯に跋扈していた「群盗」と重能のような在地武士との関係。
鎌倉〜室町期については、宗教史料や金石史料も増えてくるので、これらを駆使した山村社会の分析ができるかもしれない。
文献には限界があるだろうから、関連する諸学の成果に学ぶことによって古代・中世の山村の姿が明らかになるように望みたい。