新潟県松之山町の1985年時点における現状ルポ。
ちなみに同町は、近年の合併によって既に自治体ではなくなっている。
ネットで検索すると棚田風景の村としてヒットする。
棚田とは、最も日本的な風景の一つだ。
ユーラシア大陸東部をなすプレートの末端にあって、フィリピン海と太平洋のプレートに押し上げられて、日本列島は形成されている。
造山運動は今なお続いており、海溝から一気に立ち上がる急峻な国土が、日本列島の骨格を形作る。
南から流れ来る暖海流がもたらす水蒸気は、季節風によって攪拌されて列島に降り注ぎ、気候は多雨で湿潤という特徴づけを与えられた。
雨が山岳を削って作った沖積平野は、外来作物だった米作りに適していたとはいえ、日本人は平野のみに住まいしていたわけではなく、国土のほとんどを占める山間部では、水田を構築できないほどの山村でもなければ、なんとかして米を作ろうと営々たる努力を重ねてきた。
米は海外からの移住者によってもたらされのだが、多雨な日本の気候に適していただけでなく、単位面積あたりの収量からいっても、味覚の面からいっても、食べられる状態への処理のしやすさからいっても、あまりに魅力的な作物だった。
米作りはこうして、民族の課題となった。
山間地に作られた棚田は、多少の傾斜地でも米を作りたいという一念で、多年にわたり莫大な労力を投下して築きあげられた、地域住民の魂そのものだと思っている。
本書に登場する村が20年後の今、どうなっているかはわからない。
もともと地滑り頻発地帯だったこれらの村に、さきの中越地震はひどい打撃を与えたのではなかろうか。
日本人は、本来の暮らし方を思い出すべきだ。
こう言えば、鎖国で自給自足かと突っ込まれそうだが、そんなことを言いたいのではない。
こちらには、兼業農家なら後継者はいくらでもいると言われている。
国土のなりたちからいって、日本の農業はアメリカやオーストラリアとは根本から異なってしかるべきだ。
グローバリズムはアメリカやカナダのローカル的な思考だと考えればよい。
日本は日本の農業をつきつめて行くべきだ。
そうすれば、斜面に振り下ろす鍬の一撃が、民族の誇りを刻むことだということがわかってくるだろう。