古代末から中世にかけて殷賑を極めた熊野古道を、どのような人々がどのように歩いていたのか、文献に基づいて概説しています。
本書の刊行は熊野古道が世界遺産に指定される前です。
現世利益を求める中世の人々にとって、熊野三山詣りは、最も卑近な方法だったようです。
平安〜室町期は、現世利益の対極に位置する浄土思想の最盛期でしたが、来世における利益(りやく)を求める浄土思想は、此岸であると彼岸であるとを問わず、身の安心を求めるという意味では、とても実利主義的な信仰である点で共通していたと思われます。
熊野信仰がこれほどにまで人々の心をとらえた要因は、熊野が貴賎・男女を問わず、信仰するものを受け入れた点にあったようです。
熊野は、摂関家や院など、支配の頂点に位置する人々をも、強く引きつけています。
京都という小さな世界で暮らしていた支配者にとって、熊野だけでなく大峰や比叡山など近畿地方の山岳地帯は、異界と考えるに十分な別世界だったのでしょう。
支配者と被支配者をともに拝跪させた大いなる権威が、どのような心性によって成立していたのか、ますます興味が出てきます。