原発という技術・産業に内包される構造的な問題点を指摘した書。
原発技術・産業と他の技術・産業との相違は、裾野が存在しないという点のようです。
それはおそらく他の国にとっても同様なのでしょう。
国策として、上からの技術開発が進められることによって、技術と産業にどのような歪みを生じたか。
著者は、議論なし・批判なし・思想なし、あるいはパブリシティなし、自己検証なしなどの点を縷々指摘されています。
それらを一言で表現すれば、無責任ということでしょう。
国家のお墨付きを得た巨大資本が、国家的プロジェクトとして構築しているのが原発です。
直接・間接的な公金投入は莫大な額になります。
プロジェクトの試行錯誤は想定されなければなりませんから、投資に損失が生じるのも必然となります。
損失を事前に計上できない以上、予算・決算の積算はアバウトになり、腐りが出る。
エネルギー産業には、そんな胡散臭さがつきまといます。
一般的に言って、権力関係がすべてを律するようになった職場では、現場が上司の顔色だけをを見て働き、上は現場をろくに知らないという状態になります。
現場が全体を見ながら働き、上司が現場全体を掌握している職場ならいい仕事ができますが、権力的な仕事場ではマニュアルが絶対視され、マニュアルにある穴は見逃され、発生した問題への責任は、誰もとりません。
この国に原発は不要なのだという社会の到来は、まだ先のことになるのでしょうか。