マタギや山小屋オーナーなど、山で暮らす人々からの聞き書き。
こういう本を何冊か読んできましたが、本書について言えば、読後感は今ひとつ。
平地の暮らしが山と無関係でありえないのと同様に、山の暮らしも平地と無関係には成り立ちません。
山で獲れる幸はかつて、平地で生産されるものと同価ないしそれ以上の価値を持っていました。
しかし近代以降、機械によって作られる品は、その最大の特徴である大量生産によって、自然の生産力に依存した山の暮らしを圧倒するようになりました。
賢治の『なめとこ山の熊』は、山人が平地人に圧伏させられるようになった無念を描いています。
山の暮らしはもともと、超人的でもなければ仙人的でもなかったはず。
主食のための雑穀生産少々と、山の産物を下流と交易することによって得られた種々の必需品が、暮らしの基盤をなしていました。
公租負担が平地より軽かったこともあって、平地の民と比較して生活の困難度は、決して高くなかったと思われます。
わたしは、近代社会成立以前の日本で、山暮らしはごく当たり前の暮らし方だったのではないかという見通しを持っています。
山暮らしを、何かきわだった特徴のあるもののように見るのは、工業社会の到来に伴って、日本人が過密な都市で自然から切れた、それこそ特殊な暮らしを営むようになったからでしょう。
本書の読後感が今ひとつと思えたのは、山暮らしの「凄さ」と表現しているような著者の立ち位置に、通りすがりの都会人の匂いが感じられるからでしょう。