わたしの見たところ、このルポ集に収録されているのは、1990年前後の学校の姿だろうと思われます。
子どもたちを教師が管理し、校長が教師を管理し、教育委員会が校長を管理し、文部省が教育委員会を管理する。
これが、日本の教育システムであるという構図は、この10年間に、一段と鮮明になってきたようです。
日本における、縦系統の教育行政システムは、本来、国や地方の自治体による、教育内容への不当な干渉を防止するために、構築されていたはず。
戦後の教育制度は、上意下達主義や暗記主義を排し、個人の尊厳の上に立って、探求心旺盛な人間を育てるという思想の下に、構想されたものでしょう。
制度の基礎にあったはずの、そうした教育思想は、戦後早い時期に消滅してしまったようです。
地ならしは、学歴社会を背景とした競争主義によって担われました。
これによって、教育は、目的から手段になってしまいました。
着々と進められてきた、国家による、教育内容に対する管理は、1980年代末の「臨教審」以降、急ピッチで進行し、管理一色の現在に至っています。
著者は、行政による管理に抵抗する一方で、子どもを管理しようとする教師を、きびしく批判しています。
自分にも、身に覚えがあります。
かなり窮屈になってしまった教育現場ですが、これからどうするか。
なるべく、和やかにやっていきたいけれど、親や地域社会からは、「(子どもたちを)きびしくしつけないと社会に出てやっていけなくなる」というプレッシャーが、かかります。
著者は、さまざまな親や子どもたちとの連帯が必要ではないかと、述べています。
そうだろうと思います。
しかしこの時代、連帯を作り出すことがいかに困難か、考えると、天を仰がざるを得ません。
(ISBN4-00-260237-0 C0337 P1000E 1995,9刊 岩波新書 2001,2,26 読了)