植松黎『毒草を食べてみた』

 カバー裏には、「これは、そうした毒草を食べてしまった人たちの世にも怖ろしい44の物語である」とありますが、そんな本では、ありません。


 植物の毒は、多くの場合、薬効と表裏一体だそうです。
 薬用植物についての知恵を極める過程で、有毒植物についての知識も、蓄積されていったのでしょう。

 この本を読んで、薬用・有毒植物に関する知恵が、古今の植物・本草学者たちによってというより、世界各地の、名もなき民間の知恵者によって、蓄積されたのだと、わかりました。
 ジョルジュ=サンドの『プチット・ファデット(愛の妖精)』には、人々から、魔法使いと思われて気味悪がられ、疎外されて、森の中の一軒家に住む、ファデ婆さんという老人が、出てきます。
 人々は、ファデ婆さんを軽蔑し、おそれながらも、いざというときには、彼女の豊富な薬草知識の世話にならざるを得ないのです。

 人類が生まれたときから、今に至るまで、ファデ婆さんのように、文字など知らなくても、植物の薬理効果について深い知識を持つ、無数の人々がいたのでしょう。
 これらの知識は、生理的実験によってしか、確かめられないのですから、命を失ったり、致命的な後遺症を負った人々も、少なくなかったでしょう。

 これらの知識は、文字によるのとは違い、口伝という形で伝達・蓄積されていったはず。
 文字文化は、支配者や支配者に寄生する人々の文化。これらは、文字によって、今に残されました。
 口伝文化のほとんどは、失われてしまったと思われますが、文字を持つ人々のそれに、まさるとも劣らない、すばらしい知識体系が、存在したのだろうな、と、想像されます。

 著者も、「いつも感嘆することは、文明人といわれる私たちに比べて、"未開人"と呼ばれる彼らが植物について信じられないほどの想像力を発揮することである」(P.110)と、述べておられます。

 『毒草を食べてみた』に紹介されている植物のうち、ハイカーや釣り人が、山野で目にするのは、半分以下。
 あとは、栽培植物か、外国の植物です。
 山菜好きのハイカーであり、釣り人に過ぎないわたしですが、中毒症状や、植物の特徴についての図鑑的な説明や、薬理成分についての説明よりも、古い時代の名もなき人々が、それらの植物を、生活の中で、どのように利用しようとし、あるいはタブー視してきたかに、興味をひかれました。

 いっぽうで、薬や食べ物に対する知恵のひからびてしまった現代人のことを思うと、絶望的な気分にも、なったりします。

(ISBN4-16-660099-0 C0247 \690E 2000,4 文春新書 2000,7,3 読了)