「山里の釣りから」の主舞台である神流川は、私のフィールドから峠ひとつ越えたところです。
『村とダム』の舞台とも、至近距離にあります。
誤解であるかもしれませんが、内山さんの本に出てくる上野村の人々は、人と山・川が共生し合って生きている山里の文化に、とても誇りを持って生きておられると思います。
大量生産・大量消費という生活様式や、コンビニエンス文化というようなものではなく、自然と人間とがごくあたりまえのように共生すると生活文化に、アイデンティティを見いだされている。
私も、そうあるべきだ、ないしそうありたいと思います。
それ以外に、日本という国が持続するのは不可能だと思うから。
しかし、現実に、「豊かな消費」への衝動を阻止するのは、困難です。
そして、最大の問題はここにあると感じます。
斜面にへばりつくような畑を、持ち上げながら耕す人生は、かつて日本の山村のどこでも見られた光景だったでしょう。
秩父困民党の闘いは、斜面の畑にこだわることによって「豊かさ」を目ざすという、日本の近代化のあり方を根本的に問う闘いだったわけですが、「富国強兵」によって圧殺されていきました。
行き着いたところは、現金収入のために山や畑を放擲して勤めに出る生き方。
流通に便利な立地が有利なのが、資本主義ですから、山間にちょっと大きな事業所を誘致するのは、まず不可能。
お隣、中里村の叶山や「秩父リゾート」のように、自然を切り売りするか、都市民にへつらった観光事業も、望み薄。
補助金や公共事業で、なんとか息はついているが、やがてこれなしには生きていけない体質になってしまう。
これが、私の目に見える、日本の山村の現実です。
斜面に根ざした人生を築く人々が、もっと増えてきてほしいと思います。
(ISBN4-8188-0844-X C0036 P1854E 1996,5 日本経済評論社刊 1998,3,20読了)