今の日本は、まちがった道を歩んでいると思います。
改憲路線がどうとか、バラマキ福祉がどうとかいうことは、とりあえず横に置いておきましょう。
私は、お金をたくさん稼いでたくさん消費する生活、というか、衣食住と日々の生活が結びついていない生活というか、要するに、自然の中に根を持たない生活へ、ひたすら突き進んでいることが、まちがっていると思うのです。
私の方がまちがっているのかもしれません。(^^;
しかし、奥地は巨大ダムに沈み、里はゴルフ場に占領され、地場産業は衰退し、学校の廃止が進行するというドラスチックな現状を、自分の住む埼玉県秩父地方に見ている今、持続可能とは思えない今の社会に、疑問を感じてしまうのです。
考えさせられることの多かった『山里の釣りから』(岩波同時代ライブラリ)に引き続いて書かれた、内山さんの山里エッセイを読みました。
フランス領ピレネーの山村について語るときの著者は、とても楽しそうです。
ここには、日本の山村にたりないものがあり、しかも住民によって、それが大切にされているからでしょう。
過疎化のない村。そこでは、村人がカフェに集い、コミュニティが生きている。
自分の居場所、なすべき仕事を持つ子どもたち。彼らは、学校を出ても、村に戻ります。
地域のために戦い、死んだ人々の記念碑。
秩父には、秩父事件の記念碑もあるのですが、我が地方では、これを観光と結びつけねばならないのです。
過疎にならないために、都会にへつらわねばならない日本の山村は、悲劇的です。
水を提供し、人を提供し、遊びの場を提供し、歴史を提供する。
それでもあくまで、立場は、お客さんである都会の人の方が上なのです。
この本の後半は、内山さんが住まいする群馬県上野村についてのお話です。
これについては、また、改めて書くことにいたしましょう。
(ISBN4-8188-0417-7 C0036 P1648E 1990,4 日本経済評論社刊 1998,3,9読了)