世はオリンピックの話題で持ちきりだ。
自宅でも、職場でも、オリンピックの話題を聞かされるのには、いささか閉口してしまう。
選手のみなさんは一生懸命やっているのだろうし、それなりに得るものがあるのだろう。
また、競技の中には、感動的な場面が、決して少なくない。
しかし、国際的なスポーツ大会で、必ずしゃしゃり出てくる日本優越主義みたいな発想は、好きでない。
この前も、カーラジオをかけていたら、なんの競技についてだか、若いレポーターが、「外国の選手なんて、たいしたことないですよぉ!」と叫んでいた。
競技の実況でも、アナウンサーの「ニッポン! ニッポン!」という、度外れた絶叫が耳にさわる。
表彰式で場内放送が「選手団の旗を揚げる」といっているのに、アナウンサーは「国旗が揚がる」と、勝手に言い換えている。
そんな折に、長野オリンピックの舞台裏について書かれた本を静かに読んでみた。
「自然との共存・・・」
長野オリンピックにそんな発想は、はじめからなかった。
大手の自然保護団体も、オリンピック招致を求める策謀に取り込まれた。
「県民の総意・・・」
招致活動を実質的に推進したのは、県だった。
住民自身の中から盛り上がってきたものではなかった。
オリンピックに対する疑問を表明するものに対しては、脅迫や村八分が行われた。
県議会では、自民党から共産党までがオリンピック招致に賛成する翼賛体制が作られた。
「簡素を旨として・・・」
招致活動が動き出したのは、バブルの絶頂期。
日本全体が土地・建設投機に狂っていたころだ。
招致に際し、国は用心深く国費の支出に関するガイドラインを設け、地元負担を基本とすることを閣議決定していた。
招致決定以後の施設建設は、バブル崩壊以後の建設不況の中で、土建業者にとっては福音であったかもしれないが、つけは県民、長野市民、各地元住民にまわされた。
国際友好についてもいろんな問題が出ているらしい。
にもかかわらず、ふたたび大阪にオリンピックを招致する愚がくり返されようとしている。
なんのためのオリンピックなのか、原点を確認するところからはじめてほしいと思う。
(ISBN4-7942-0800-6 C0036 \1600E 1998,1 草思社刊 1998,2,20読了)