森や木について関心を持ち始めてから、いつも木とともにあった日本の文化が急激に崩壊して来つつあることを、実感するようになりました。
山歩きについては、私などよりずっと経験豊富な人から、「スギとヒノキっていうのは、どうちがうのかね」と尋ねられて、かなりびっくりしたこともあります。
私だって、大同小異です。
森を歩いていて、木の名前がちゃんとわからない。
わかったとしても、それがなんの役に立つのかが、わからない。
「なんの役に立つか」なんて、人間中心の思想はとんでもないではないか、と叱らないで下さい。
ところで、あなたは、どれほどご存じですか?
人間は、自然を科学的に利用することを知る唯一の生き物です。
ほかの生き物と人間のちがいって、要するにそこなんですね。
それを否定したら、人間をやめなければならなくなります。
日本人が自然と共生して生活していたころ、私たちの祖先はもっと木をよく知っていました。
木は日本人にとってなくてはならないものだったから、木は大切にされていました。
江戸時代の権力者たちだって、山や森を大切にすることが人民の生活、ひいては自分らの権力基盤を安定させることだと考えるほどの想像力を持っていました。
ところが、今のわれわれの生活上の想像力ときたら、お粗末そのもの。
食べてるものがだれによって、どこでどうやって作られているのか、どのような調味料や薬剤によって加工されているのか、わからない。
着ているものだって、住んでいる家だって、そうです。
自分たちの暮らしがどういう自然の上になりたっているのか、ちっともわからないし、わからないことに慣れきっていて、わかろうともしない。
これで、一人前に「生きてる」なんて、言えるのでしょうか。
稲本さんたちオークヴィレッジでは、木の文化の再生と創造をめざしておられるようです。
木とともにある文化を作ることが、本来の日本人のあり方なのだということがよくわかりました。
(ISBN4-00-430535-7 C0245 \660E 1997,12刊 岩波新書 1997,12,31読了)