ニフティサーブのFFISHで紹介していただいた本です。
生態学の観点から、河川・湖沼環境はいかにあるべきかを、わかりやすいことばで、説かれています。
著者の立場は、「多自然的川づくり」「近自然工法」を具体化するための、提言、示唆、データの提供にあります。
湖沼や、川の中・下流の自然環境に関心をお持ちの方は、ぜひお読みいただきたいと思います。
コンクリートで固めた川と自然豊かな川とどちらがよいか、と聞かれれば、だれしも、自然度の高い川をあげるでしょう。
なぜ、自然な川がよいのでしょうか。
これは、経済合理性だけで説明できる問題ではありません。
近代日本の河川改修は、利用可能な土地を最大限利用する合理主義を基本ポリシーとしてきました。
利用されない水は、できるだけせまい経路を通って、できるだけ人間生活のじゃまにならないように、すみやかに海に排出されることを、良しとしてきました。
その典型が、三面護岸(両岸と川床がコンクリートで固められた護岸)の川の姿です。
渡良瀬川の治水をめぐる、栃木県谷中村の悲劇も、そうした文脈の上で、起きた事件でした。この問題は、それだけでは論じ尽くせない、さまざまな問題を含んでいますが。
これに対し、近年、叫ばれつつある「多自然的川づくり」は、川の生物相の多様性を重視するとともに、水辺の景観についても十分に配慮すべきことを求めています。
なにゆえ、水辺に多様な生き物が生息することが望ましいのでしょうか。
われわれ人間は、一種の生き物として許される以上に、他の生き物やその生存環境を侵害しないでは生きられないという、悲しい進化をとげてしまった。
そのことを自覚した上で、そうした人間のあり方を反省し、他の生き物と共存できる部分を増やしていくべきではないか、というのが著者の立場です。
私もこれに賛成です。
多様な植物や岩石の配された景観を好むのは、人類共通の嗜好のようです。
経済合理性一辺倒(ほんとに合理的なのかどうか疑わしいけど)の水辺環境は、人間にとってさえ、不快な景観なのです。
人間の内側にある自然が、目の前の自然環境と共鳴するときに、生きるエネルギーが生まれ、想像力や創造力がはくぐまれる、と著者はいいます。
そうなのだ、と思います。
高度経済成長の時代以前に、私たちは、生活の中で自然と共鳴することを学びました。
いまは、それを教える生活はなく、学校は世渡りの術みたいな、ろくでもないことしか教えませんね。
あのころの田んぼのあぜ道や、用水路や、メダカの学校がなつかしい。
(ISBN4-406-01977-4 C0040 P1400E 1991,7 新日本出版社刊 1997,5,4読了)
(ISBN4-406-02248-1 C0040 P1500E 1994,5 新日本出版社刊 1996,11,15読了)