天皇家の世襲制度をどうするかをめぐって一時期騒がれましたが、秋篠宮の夫人が妊娠したという発表があったとたんに、議論が消滅してしまいました。
女性天皇とか女系天皇を認めるかどうかが議論の焦点でしたが、渦中にいる人々の感情とはまったく無関係のところで議論されているところに、天皇制の無惨さがあらわれています。
この問題に関し声を大にして議論している人々は、皇太子夫人の感情をどれほど忖度しているのでしょうか。
『新・傷だらけの百名山』には、本人にまったく罪がないにも関わらず、皇太子が登山することによって山が破壊される現実が書かれています。
皇室問題の根本的な解決方法とは、天皇制の廃止に尽きると考えています。
法の下の平等を定めていながら、税金に寄食する特権身分の存在を認めるのは、明らかに矛盾しています。
天皇の地位が国民の総意に基づくというならば、無条件の世襲ではなく、代替わりに際し信任投票が行われるべきです。
この本には、皇室内にひどいお妃いじめが存在した事実が書かれています。
天皇制は、特権身分にとっても参政権の制限など、不自由で非人間的な制度です。
天皇制は、日本の歴史や文化的伝統と不可分だという言い方がされます。
たしかに、千数百年以上もの長い間継続してきた天皇制の歴史は決して軽視すべきなく、しっかり研究すべきでしょう。
しかし、将来にわたっても日本に天皇制が必要かといえば、必ずしもそうとは言えないでしょう。
つい近年まで存命していた昭和天皇が、十五年戦争計画・実行に深く関わっていたにもかかわらず、戦争責任を問われなかったのは、アメリカの対ソ戦略上、彼が「役に立つ」存在だったからでした。
日本人が戦争責任に鈍感な原因の一つは明らかに、最高責任者だった昭和天皇の責任が曖昧にされた点にあります。
この本には、他著の引用の形ではありますが、昭和天皇がマッカーサーに巧みに取り入り、占領政策に影響力を行使していた事実が書かれています。
日本国憲法のもとでさえ、昭和天皇のような策略家が政治的影響力を存分にふるえる余地があったということですから、今後の推移によっては、日本が再び破滅させられる可能性がないとは言えません。
日本を、日本国民のものにするために、天皇制はやめるべきです。
(ISBN4-272-21086-6 C0031 \1200E 2006,1 刊 大月書店 2006,3,1 読了)