『私の戦後六十年』同様、日本共産党幹部による回想と国会議員論。
政治家の回想記というものの真実度の相場がどの程度のものか知りませんが、このあたりはかなり信頼できる感じがします。
日本政治の中枢は、一般には見えにくい財界・官僚・情報機関のトライアングルによって構成されているのではないかと考えています。
各種醜聞によって社会的に葬られる政治家が後を絶ちませんが、政界というのは、大きな権限を持っているにもかかわらず、中枢機構によって金と名誉を与えられ、踊らされるだけの存在。
政・官・財のトライアングルという言い方は、政治家の存在を過大評価するとともに、警察・内閣情報資料室などが行っている情報・謀略活動を軽視するものだと思います。
野党は、国民の支持と足で調べたデータだけを武器に、巨大でかつ実態の見えない国家機構と戦わねばならないわけです。
それだけに、同党国会議員とその周辺にいる人々の努力には頭が下がります。
この本の中で特に目を引かれたのは、「請願という制度の大事さ」の項です。
いままで、筆頭請願人として2度、請願をおこなったことがあります。
一度目(1980年)は審議ののち、採決の上却下。
二度目(1997年)は審議せず放置。
採決・却下という結果に終わるのはやむを得ないが、全く審議もせず放置するのは憲法16条違反だし、その違憲行為に対し誰も責任をとっていないのは不届き千万なことだと、改めて思っています。
最近の国会審議を聞いてみると、野党であるにもかかわらず、貴重な質問時間をダラダラと消化しているケースも少なくなく、腹立たしくなってラジオを切りたくなることもあります。
先日の総選挙で、バカ丸出しの青年が国会議員になりました。
まじめな人が政治の表舞台からも消えつつあるという、日本の末期症状を象徴するニュースではありました。
(ISBN4-582-85006-5 C0231 \680E 1999,5 刊 平凡社新書 2005,12,31 読了)