上野警察署裏にあったというトリスバーのママ<バアさん>の回想録と重ね合わせながら、1950〜1960年代にかけて読売新聞社会部記者だった著者がどのような仕事をしていたのかを回想した本。
著者の自伝である『我、拗ね者として生涯を閉ず』と重複する部分もあります。
<バアさん>の回想記の中にある当時の新聞記者とは、次のような人たちだったらしい。
彼らが人の悪口を云ったり他社を貶したりするのを聞いた事がない。
人の心の中に踏み込む事はしない。人のプライベイトの事を詮索しない。
人にへつらわない。お世辞を云はない。権力に屈服しない。正義感が強い。
ごく当然のことばかりです。
しかし今の時代、このような生き方のできる職業はあるでしょうか。
自分自身を含めて言うのですが、この世の人びとの多くはこの対極にあるのが実情ではないでしょうか。
仕事をするということの中には、多かれ少なかれ、その仕事の対象に対し直接責任を負うという部分があります。
例えば電車の運転士であれば、彼は乗務している車両に乗っている乗客を安全に輸送することに対して直接の責任を負っているのであり、社内ルールに対して責任を負っているのではありません。
ところが、近年とくに、働く者があたかも上司に対し第一義的な責任を負っているかのような物言いがされることが多い。
教師であれば生徒に対し、新聞記者であれば読者に対し、責任もってやっているのだという自負と責任感が、緊張感と創造力に満ちた仕事をうみだすことができるはず。
かつて読売新聞社会部にあったという、一見無頼でムダな部分ばかりのようではあるが、自由闊達な空気の中でパワフルに仕事をすることができる世界は、過去の思い出にしてしまってはいけないと思います。
(ISBN4-10-116711-7 C0193 \590E 1989,8 刊 新潮文庫 2005,12,30 読了)