この本が扱っているのはトゲウオの仲間です。
トゲウオの仲間は、ヴルム氷期後の温暖化によって陸封されたという点で、イワナとたいへんよく似た来歴を持っています。
イワナとトゲウオとのもっとも大きな違いは、その生息環境です。
イワナは河川の最源流に定着しているのに対し、トゲウオは河川の中流部の湧水帯に定着しています。
最源流は人間による利用度の低い水域ですから、イワナ生息域の環境は、近代化の後も比較的よく保たれてきました。
しかしトゲウオの生息域は、人間の生活域と重なっていますから、工業化や住宅化や農薬使用などによって容易に破壊されてきました。
埼玉県熊谷市にはトゲウオの一種の一個体群であるムサシトミヨの生息地があります。
生息地周辺はかつては水田地帯であったが、現在は住宅地といっていいところです。
ムサシトミヨは、天然記念物指定を受けていなければ、生活排水によってドブと化していたであろう流れの中で、かろうじて生きています。
ちなみに、ムサシトミヨ生息地の近くに埼玉県水産試験場熊谷支場(旧称)があり、ここで秩父イワナや秩父ヤマメが飼われていたのです。
この本を読んで認識を新たにしたのは、トゲウオの仲間にも形態学的特徴の明確に異なる地域個体群があるということでした。
そして、それら地域個体群を守らなければならないという著者の主張に、意を強くしました。
またこの本によって、地域個体群を含め、希少魚の生息環境を守るために何が必要か、また何をしなければならないかについて、多くの示唆を与えられました。
ただ一ヶ所、たいへん気になった一文があります。
それは、アマゴなどの水産魚種的魚種の大量放流がなされ、魚類相の変化を招いてもかまわない、しかしハリヨの放流に限っては熟慮してほしいと述べている点です。
この一文を読むと、淡水魚の地域個体群を守るとは結局、何を守ることであるのかについての著者のお考えが、やや疑問になってきます。
地域の生態系には、地域で暮らす人間の文化もが含まれるべきだと、わたしは考えています。
(ISBN4-12-101365-4 C1245 \680E 1997,6 中公新書 2005,2,23 読了)