琵琶湖の漁師である著者が、琵琶湖の魚と漁について語った本。 日本最大の淡水湖である琵琶湖は40万年の歴史を持っているそうです。
イワナの勉強をしてわかったのですが、40万年という時間は、さまざまな生き物において新しい種が生まれるのに十分な時間です。
琵琶湖は一つの完結した水面ですから、ここには生態系のモデルに擬することができるほど多様な生き物が生息しているそうです。
日本にはかつて、流域の文化があったのではないかと思います。
川と川の生き物からどのような恵みをうけとり、どのように感謝するかは、それぞれの水系によって異なるものがあったはずです。
わたしの地元の荒川を例に考えてみましょう。
上流で伐り出された材木は筏に組まれ、江戸へと流されました。ここには、伐採技術や筏組み・筏流しの技術、何人もの筏師を束ねる筏宿がありました。
また荒川には、数多くの水車が設置されていました。
秩父の町の民は、これらの水車で製粉された穀類を食べていたと思われます。
荒川の本流には明治初年まで橋が架かっていませんでしたので、荒川を渡し船で渡るようになっていました。秩父困民党が渡ったのは、渡し場のある浅瀬でした。
そして、荒川にはじつにさまざまな魚が生息しており、秩父の民の蛋白源となってきました。
こちらには、かつて荒川でたくさん獲れたのに今では見られなくなった魚のことが語られています。
秩父の町の代表的な祭りは、冬の秩父夜祭りと夏の川瀬祭りです。
川瀬祭りは、秩父神社の御輿が荒川に飛び込み、勢いよく揺れながら川の中を進みます。
この地を代表する二つの祭りが、山(武甲山)と川(荒川)を主人公にしているのは、偶然ではありません。
川が排水路や巨大水たまり(ダム)と化すなかで、山と川と人とのつながりが切られていき、魚の種類は減少していきました。
しかし琵琶湖には、まだ魚をめぐる人間の暮らしが残っています。
それは、著者がおっしゃるように、湖国の民が、魚を絶滅させない「待ちぼうけの漁」を続けてきたからです。
密放流されたブラックバス・ブルーギルによって琵琶湖の生態系はひどく痛めつけられています。 これはもう手遅れかもしれません。
奥秩父の在来イワナも同じこと。
手遅れにしてはならないと思います。
(ISBN4-334-03125-0 C0295 \680E 2002,1刊 光文社新書 2005,2,8 読了)