上野敏彦『淡水魚にかける夢』

 淡水魚保護協会元理事長、木村英造氏の伝記。
 木村氏は、『愛をもて渓魚を語れ』(平凡社ライブラリ)の著者紀村落釣氏と同一人物です。


 わたしが在来イワナ保護のために動き始めたのは1990年代後半からですので、淡水魚保護協会の活動はほとんど知りませんでした。

 本を開いてすぐに、木村氏が淡水魚保護の運動を始められたのは、淀川のワンドに住むイタセンパラの保護が出発点だったという記述を読んで、これは居住まいを正して読むべき本だと感じました。
 というのは、淀川べりのワンドや溜池といえば、中学生の時分に魚を釣り歩いたフィールドそのものだからです。

 しかも、木村氏と共にイタセンパラ保護を担っていた人が、1970年当時枚方第一中学校の先生だったとあります。わたしはその時その学校に在籍していたはずです。
 あの時生物クラブに入って、この先生に指導されてたら、その後社会科学なんか専攻していなかった可能性が強い。
 けど、そうなると秩父に職を得なかった可能性も強いですから、やっぱり秩父イワナとは無縁の人生を送ったでしょう。

 などと、とりとめのない思いが行間を走ります。

 この本のテーマである淡水魚保護の問題については、自分自身のスタンスとは異なる木村氏のやり方に対し、共感する点が多い一方で、同意できない点も数多ありました。

 氏らによるヒマラヤへのアマゴの放流については、どう考えても納得できかねます。
 生態学や古生物学に関する本を少しかじってみただけですが、ある生き物がある所に生息したり生息しないことには何らかの理由があり、「現地住民の栄養改善」等というで理由外来生物を放すことは、ことによると取り返しのつかない生態系改変につながるかもしれず、行ってはならないというのが原則だと思います。

 ヒマラヤのアマゴはおそらく全滅した模様ですが、それで良かったのではないかと思います。

 それでは屋久島のヤマメはどうか。 こちらは、サケ科魚類不在の渓流へのヤマメ放流で、結果的に定着しているようです。
 このことによる生態系への重大な影響は報告されていないことに、ほっとします。

 放流事業に携わる者の苦労も知らずに評論家的な事を言うなといわれるかもしれませんが、わたしとしては、いったいわれわれ人間とは何さまなんだ、という思いがあります。

 人間は、地球という閉じられた生態系の中で、気候変動に翻弄されながら遅々たる進化を遂げた生き物の一つに過ぎません。
 神が人間に理性を与えたとすれば、われわれにとって所与の生態系をいかに維持するかということに全力を傾けて腐心することが、人間の存在する意味なのではないでしょうか。

(ISBN4-582-83158-3 C0051 \2400E 2003,6 平凡社刊 2005,1,19 読了)