小西政継氏よりひと世代前、大正〜昭和一桁生まれの世代の先鋭的登山とはどのようなものだったのかを描いた本。
戦中から戦後にかけて、谷川岳や穂高の岩場はおおぜいのクライマーでにぎわっていたようです。
先鋭的な山登りのすそ野には、ハイキングを楽しむ膨大な人口があったと思われますから、縦走路を歩く若い登山者の数は、たいへんなものだったのでしょう。
ずっと昔には、「マツダランプ」という広告の入った道標を至るところで見かけたような気がします。
昔のハイキングというと、「マツダランプ」の道標を思い出します。
この本の中で、戦争中の登攀行為について、円山雅也氏は
普段の時間はまるで死んじまっている自分が、わずかの間、生き返る、自分の意志で生きている、という実感があった。と述べています。 これは、がんじがらめに管理されている今の若者が、バイクで突っ走る時に感じるのと似た感覚だと思われます。 生きることの意味が希薄な時代にあっても、人間は、意味の感じられない人生を生きることはできないのです。
そして、戦後。
先鋭的な登山は、大学山岳部の極地法全盛期。
経済的・時間的な余裕のある特権階級が、国家の威信をかけてヒマラヤをめざす一方、職業を持つ町のクライマーに陽のあたる時代ではなかったため、彼らは相変わらず、谷川の岩場で激しく自己を表現していました。
彼らにとって登山とは自己表現ですから、当時の大学山岳部で常識化していた、登山における組織とか自己犠牲というような考え方を拒否します。
登山という行為は、登攀の完成という自己の生存証明だという考え方です。
もちろん、それは自己責任に裏打ちされてはじめて発効する自己証明です。
先鋭的な登山であれ、ハイキングであれ、沢登りであれ、すなわち山登りの形態はどうあれ、それはひとつの自己表現でなければならないと思います。
たくさんの山を歩いてきましたが、つまんない登り方をした山もありました。
願わくは、意味ある山登り・美しい山登りを数多く経験してみたいものです。
(ISBN4-12-203439-6 C1195 \838E 1999,6 中公文庫 2004,1,19 読了)