前回の読書ノートで1990年代に高所登山は変貌したらしいと書きましたが、その実態をみごとに語っている山岳ドキュメント。
1996年5月にエベレストで起きた日本人女性を含む登頂ツアー一行の大量遭難の記録です。
90年代になると、著名なガイドが募集する8000メートル峰登頂ツアーが企画されるようになったようです。
この本の中にも、自分ではほとんど歩けない状態に陥りながら、シェルパに抱えられながらエベレストの頂上に行った金満家が登場します。
8000メートル峰は、散財の場所と化したようです。
300張のテントが並ぶエベレストのベースキャンプには電話やファックスやパソコンが整備されていて、下界と変わらない快適な生活ができるようになっており、惨劇の起きた前日には7980メートルのサウスコルに数十人が泊まっていて、当日にはエベレストの頂稜でツアー客の渋滞ができていたと、書かれています。
悪天に見舞われて何人もが倒れ、苦しみを訴えるなか、それを横目で眺めながら登高を続ける登山者。
いかにも世紀末的な光景です。
人生にとって、このようにして8000メートル峰を極めることに、なにかの意味があるのでしょうか。
ガイドの中には、エベレスト清掃登山を企画する動きもあるようですが、商業登山の流れができてしまった以上、山がこれ以上美しくなることはあり得ないでしょう。
山歩きとは、自分の能力と山のスケールその他の諸条件とを天秤にかけながら、自分の判断と責任でおこなう遊びでなければならないと、わたしは思っています。
(ISBN4-16-765101-7 C0198 \819E 2000,12 文春文庫 2004,1,14 読了)