この本はすごい本です。少しでもダムに関心を持つ人には、ぜひすすめたい本です。これも、ニフティサーブのFFISHで紹介していただいた中の一冊です。
なんのために、美しい自然の川が必要か。そこで、人間とさまざまな生き物が、共に生きるためでしょう。
まだ見ぬ熊本県川辺川は、そのような美しい川だそうです。
多様な川虫類が生育し、アユが遡上し、子どもたちが遊ぶ光景が見られるのです。
この川に、川辺川ダムの建設計画が持ち込まれました。
ダムというのは、みんなが納得してから工事にかかるものではないそうです。
計画さえたたない段階から、工事ははじまるのです。農業より土木作業の方がもうかるようにして、農業で生活してきた住民の生活の基盤をぼろぼろにしながら、計画がすすめられるのです。
ダム建設はまず、地域住民のこころを掘りくずすという形で、はじまるのです。
国と闘って勝てるものでしょうか。
カネを自由にし、政策を自由にするジョーカーをすべて握っている者と、自分のこころ以外、依るべきものを持たない者との、絶望的な闘い。
相手は、人間関係すら、自由にできるジョーカーを持っているのです。
国は、なんのためにダムを造るのか。
川辺川ダムの場合、治水(利水を含む)、灌漑、発電という看板がかけられています。
著者はその一つひとつに、分析を加えています。
ダムがあった場合と、ない場合とで、どのように状況がちがってくるか、シミュレーションして見せてくれます。この分析はすばらしい。
ダムによって旱害や水害から耕地を守ることが不可能だということは、はっきり立証されています。川辺川ダムが灌漑の役に立たないことも、発電の役に立たないことも、明白なのです。
ダム建設の合理的な目的は、ないように見えます。あるとすればそれは、ダムのためのダム、「公共工事」に群がる土建業者、彼らからの献金で潤う政治家、そして官僚のためのダム作りしかないではないか、と著者は言っています。
建設省は、著者に反論しなければなりません。
それができないならば、ダム建設建設は白紙撤回すべきでしょう。
著者がダム建設の無意味さを立証するにあたって使った資料は、渋る建設省にようやく出させたものばかりだそうです。
官僚の権力の根源は、情報を独占しているところにあります。
情報を公開させることによって、官僚たちも理性の土俵に立たざるを得なくなります。
日本にとって必要なのは、そういうことなんだということを、あらためて教えられました。
(ISBN4-7512-0637-0 C0036 P1854E 1994,4 葦書房刊 1997,1,7読了)