小河内ダム(多摩川水系)建設をめぐる村内の動きを描いた小説。
発表は1937(昭和12)年ですが、当時はまだ、移転交渉の真っ最中で、村にはまだおおぜいの人びとが残っていた時期に書かれたはず。
村民がこの作品を読んで、どのように感じたのか、気になります。
これまでずいぶん、ダム関連本を読んできたつもりですが、小説としては、松下竜一『砦に拠る』と並んで、出色の作品だと思います。
第一回芥川賞受賞作家の第二作目ですから、発表当時はさぞや、注目作だったのでしょう。
そのことが、ダム建設にも、なにがしかの影響を与えたのでしょうか。
亀井勝一郎は解説で、いわゆるプロレタリア文学のような感じ、と評していますが、ダム計画をめぐる利権や、官僚の非道さや、山村の疲弊した状況などが、じつにリアルに、わかりやすく描かれています。
そういう意味では、戦後に社会派小説といわれるようになったカテゴリーの先駆なのかもしれません。
これだけリアルな作品を書きあげるのに、著者が、どのような取材をおこなったのか、知りたいところです。
その資料だけでも、たいへんなボリュームになると思われます。
それにしても、ダム建設をめぐる経過というのは、戦前から今に至るまで、なんと類似しているのかと驚きます。
同じ芝居が、所と役者を変えて、全国至るところで、演じられてきたのです。
その初演は、ここ小河内村においてだったというわけです。
もっとも、似た芝居が栃木県谷中村で演じられたことはありましたが。
補償条件などをめぐって村がきしんでいくようすなどは、たとえば、1970〜80年代の徳山村となんら変わりがありません。
作品が書かれたのは、日中全面戦争前夜。
養蚕モノカルチュアに単純化された山村の暮らしが、昭和恐慌とその後の不景気によって、破滅に瀕していた時代。
時代背景も、農林業切り捨て政策によって山村で暮らすのが困難になり、村をダムに売らざるを得なかった20世紀後半と重なるものがあります。
読み終わってみれば、農業、山仕事、村の民俗などについての肉付けが、物足りない感は、否めません。
しかしそれ以上に、著者が、ダムを造るということの本質を、戦前日本においてみごとに捉えていたという先駆性を、顕彰しなければならないと思いました。
(1948,6 新潮文庫 ネット古書店より\500で入手 2003,3,7 読了)