発達障害を持つ32歳の青年が、脳外科の手術によって急激な知的発達をとげたのち、手術に内包されていた致命的な欠陥により、急激な知的退行を体験するという小説。
テレビドラマにもなったそうですが、わたしはテレビ受像機を持っていないし、新聞のテレビ欄も見ないので、どういうドラマだったのかわかりません。
人間にとって、知恵とは何なのか。
知恵を獲得することによって、人間はなにを失うのか。
人間にとって、もっとも大切なものは何なのか。
主人公が知恵を得ていくことによって遭遇するさまざまの局面で、人間と知恵について、重要な問題が提起されます。
知恵を得ることによって、彼は、発達障害者だったときに持っていた温かさや優しさなどを失っていき、猜疑心や怒りや、まわりの人びととのさまざまな摩擦を生じさせます。
彼は言います。
ぼくの知能が停滞していたときは、友だちが大勢いた。今は一人もいない。知的退行に入るのは、彼にとってたいへんな恐怖です。 そういう中で、彼が得た結論は、
人間的な愛情の裏打ちのない知能や教育なんて何の価値もない
愛情を与えたり受け入れたりする能力がなければ、知能というものは精神的道徳的な崩壊をもたらし、神経症ないしは精神病すらひきおこすものである。・・・自己中心的な目的でそれ自体に吸収されて、それ自体に関与するだけの心、人間関係の排除へと向かう心というものは、暴力と苦痛にしかつながらないということ。というものでした。 科学や文明の価値についても、彼の説と同じことがいえるでしょう。 科学や文明の成果を伝える、教育の果たす役割についても。
世界のようすを眺めていると、人類が、歴史的な退行現象に向かっているという実感が、強くなってきます。
わたしとしては、子どもたちだけは、救いたいと思っています。
(ISBN4-15-110101-2 C0197 \760E 1999,10 早川書房刊 2003,3,5 読了)