南方熊楠の学問の持つ意味について論じた本。
わたしの関心は、いかなる学問的背景が、南方熊楠を神社合祀反対運動に駆り立てたのかという点にあるのですが、
この本は、主として、彼の学問が転形されたイギリス時代を中心に分析されています。
関心外の分野であるだけに、読んでおいてよかったと思います。
印象深かった一つは、彼の学問が、アマチュアや専門家が同等に参加する投稿雑誌において、鍛成されたものであるということ。
1990年代前半から半ば頃のパソコン通信は、そのような議論の場としての可能性を持つものであったなぁ、と回想してしまいます。
3年前に発表したイワナ論「秩父イワナ序説」(秩父の環境を考える会年報所収)は、そうやって未知の人びとと議論しながら、構想してきたものでした。
それから、学問である以上、細部を論じることは不可避であるが、それは全体を論じるための細部であるということ。
つきつめれば、たとえば、水系ごとのイワナの斑紋の相違といった微細なテーマも、それぞれの地域の生態系の特徴とはいかなるものであるのかという大問題の一部なのであり、ひいては、日本の生態系・日本列島とは、この地球においてどのような意義を持って存在しつつあるのかという問題を解くための問題群の一つなのだということです。
熊楠は、旅行記・博物学に関する膨大なノートを作っていたとのことです。
イワナの斑紋の相違をいうなら、地質・地形や樹木や草本の特徴など、まさに博物学的知識が必要なのだと思います。
そんな勉強をしてみたいし、今の子どもたちにそういう勉強をさせてみたい気がしました。
本を読んだ感想よりも、自分のなさねばならない勉強についての思いばかりを書きつらねて、読み苦しい読書ノートであることをお詫びいたします。
(ISBN4-02-259530-2 C0323 \1100E 1991,7 朝日新聞社刊 2003,2,26 読了)