2002年春現在、定時制高校は、学校教育の最後の砦のひとつであるといえるだろう。
戦後長らく、勤労青少年の学習の場であり続けた定時制高校は、もともと、全日制高校ではない高校に通いたい人々を対象にした教育の場として、出発した。
働かない人々が定時制に来るようになったことを、教育行政は、定時制の変質などという。
1980年ごろから、定時制に来る生徒の質がドラスチックに変わったのは事実だが、定時制はもともと、多様な生徒を受け入れることが可能な場であったのだから、なにもあわてふためく必要はなかったし、大幅な制度の改変など、必要もなかった。
必要だったのは、行政側の、定時制教育に対する、まともな理解であった。
20世紀末における、埼玉県の定時制教育のおおざっぱな流れについては、別稿でも述べたので、くり返さない。
現在に至るまで、教員生活のほとんどを定時制の現場で過ごしてきた者にすれば、本書に記されているような日々の事件や生徒との関わりは、日常茶飯事であった。
それらの関わりは、自分個人と生徒たち個人とののっぴきならないものであったと思うので、敢えておおやけにすべきものでもないし、自分のこころの奥深くに刻み込んでおけばよいことだ。
深刻な事態となる局面で問われるのは、教師としての人間性である。
自分という教師が、生徒の起こしたことや生徒の行き先に対して、どれほどの援助ができるのかが、問われる。
それをシステムに転嫁して逃げたのでは、教師の役割が果たせない。
「決まりではこうなっています」などという説明は、彼らが必要としている説明ではない。
多くの職場では、自分や学校に、どれほどのことができるのか、あるいはできないのかを、きちんと説明できる能力を持つべきだとは教えられず、人間としての責任と課題からひたすら逃げる小役人根性は、しっかりたたき込まれているのが実情だろう。
自分なりに試行錯誤してきて、得た仮説は、高校とは、居場所であるということだ。
多様な存在が共生する場であるから、なおのこと、個人のアイデンティティが保障される。
適度な緊張感を伴いつつも、こころ安らぐことのできる場でありたい。
いろいろな人間みんなが、自分なりに存在することを許される場所が、学校であるべきだ。
人間はいつごろから、人間同士の微々たる相違に、ことさら非寛容になったのだろう。
「優等生」と「劣等生」との違いが、はたしてどれほどの違いだというのだろう。
思いやりのあることや、自己の良心に忠実であることなどは、人間として、必要なことであるだろう。
しかし、今は、「学力」や応答の仕方や、容姿にまで、均質化指向が進んでいる。
30年前の自分自身、黒い学生服が着られない生徒だった。
そんな私に、眉をしかめる教師もいたかもしれないが、強制的な言辞を浴びせられたことは一度もなく、恩師と母校には、充実感と感謝の思いだけが残っている。
今、教師をしているのも、高校の時に、学校が好きになったからだと思う。
幻滅感でなく、失敗したらそこに戻ってやり直せる居場所を得させたい。
全日制高校が、効率化と競争化に駆り立てられ、管理主義によって窒息に追い込まれていった1980年代以降、多くの定時制高校は、多様な生徒を受け入れ、毎日のように起きるハプニングに追いまくられながらも、人格の完成をめざす教育の場であり続けた。
そのような場でなければ、これらの人々を包容することはできなかったし、それらの人々を受け入れ、手厚くケアすることは、社会の義務だったはずだ。
しかし今、教育制度のすき間のような形で存在していた定時制高校に、効率化の波が訪れつつある。
すき間は、社会にとって、必要なものなのだが、企業的発想からすれば、効率に反する存在なのだろう。
埼玉県でも、民間的手法の導入が叫ばれている。
しかし、こうした流れは、まちがっている。
ほんとうは、定時制的なやり方を、全日制で取り入れることが、必要なのだと思っている。
「山と渓ときのこと酒と」は、かなり多数の教育現場にくいこんでいるプロバイダ<ぷらら>から、「本サイトは、接続制限サービスの機能により、接続の規制対象 とされていますので、ご覧になれません」というメッセージを頂いている。
このページのようなメッセージは「有害情報」であり、生徒に知らしめてはならないという「教育的配慮」らしい。
(ISBN4-7880-7042-1 C0093 \1600E 2000,6 新読書社刊 2002,3,18 読了)