『白神山地 立入禁止で得するのは誰だ』と一連の関係にある本。
『白神山地 立入禁止で得するのは誰だ』にくらべて、「立入禁止」派の学者や市民団体への罵言は少ないですが、それでも、各所に、人格攻撃的なことばが散らばっているので、読んでいて気が重くなります。
このような人格攻撃を、どうしても活字にしなければならない理由があったのかどうかは、読んでいるわたしには、とても理解できかねるところです。
『・・・誰だ』の項にも書きましたが、要は、白神の経過から、われわれが何を学ぶかだと思っています。
白神がどういうところなのかは、行ってみないとわかりません。
地形図を見れば、おおむねどのような地形で、川はどのような流れであり、林相はどうであるのか、ある程度の想像はつきますが、百聞は一見にしかず。
いつか、白神の核心部をのぞいてみたいと思います。
いくつかの資料を基に想像する白神山地は、わたしのフィールドである秩父山地とは、ずいぶん異なっているという印象を持ちます。
白神は、豪雪地帯に位置しますが、秩父山地は、数メートルもの雪におおわれたりはしません。
また、秩父の積雪期は、日本海から季節風の吹く冬が中心ではなく、南からの低気圧が近づくようになる早春です。
ですから、雪の質もちがいます。
秩父山地は現在、シカの個体数がたいへん多くなっていると思われます。
私が関係している、瀬音の森の渓畔林植栽は、シカの食害という壁に、ぶつかっています。
しかし、白神に、豪雪に弱いシカは生息していないようです。
また白神とちがって、秩父山地は、標高が高く、造山運動のさなかにあって、尾根も谷も、非常に急峻です。
尾根には、モミやツガなどの針葉樹が繁っており、斜面を占有しているのは、各種カエデ類やブナ、イヌブナ、シオジなど、多様な広葉樹ですが、日照が少ないためか、尾根にも谷筋にも、いわゆる山菜のたぐいは、あまり見られません。
江戸時代に、領主(白神の場合津軽氏、秩父は幕府)によって、森が保護されていたのは同様ですが、秩父の場合は、留山(とめやま)として、奥地への立ち入りが禁止されており、山村住民と山との関わりは、白神にくらべれば、比較的希薄だったと思われます。(これはあくまで白神との比較であって、山村の暮らしが山に全面的に依存するものであったのはまちがいないことです)
白神は、かつて有していた広大なブナ原生林を、営林局によって破壊され、その後、地域住民の運動によって保護されることになったのですが、秩父山地は、国立公園に指定され、首都圏に住む膨大な人口の観光・レジャーの場として、今なお、大きな存在です。
秩父山地は、今なお、観光資本や土建屋によって、破壊の対象として、ねらわれています。
根深氏は、入渓者の増えた白神の渓で、イワナの魚影が増えたと言っておられます。
わたしは、そんなことは、絶対にあり得ないと思います。
少なくとも、秩父の渓に来る釣り人は、根深氏の言われるような、健康で自由な人間精神を持っている人ばかりではありません。
ダムや道路工事と同様、かなりの釣り人が、乱獲したあげくゴミを捨てまくってイワナやヤマメの生息を危うくする、サカナの敵だと、わたしは確信しています。
その確信は、ここ数年、秩父の渓や杣道から、数十袋のゴミを担ぎおろしてきた、わたしの体験によるものです。
この秩父の山と渓を守り、美しいまま次世代に伝えるには、どうすればいいのか。
根深氏のこの2冊の本を読んで、痛感したひとつは、開発や保護に関する手続きの民主化が、絶対に必要だということ。
官僚や「有力者」や「識者」が、机上の空論で保護計画策定や線引きなどをおこなうことが、いかにナンセンスかということが、これらの本には説かれています。
まったく同感です。
地域住民をはじめ、山や渓を知る人びとが参加して、計画づくりを進めるべきです。
それともうひとつは、山や渓から、人間を排除する形での「保護」は、非民主的であるだけでなく、結果的に、自然保護という目的にとっても、無意味であるということ。
ではどのようにすれば、山や渓と人間がかかわる中での、保護が可能になるのか。
どの地域にも通用するような、一般的な方法は、存在しないと思います。
山や渓がそれぞれ異なるのですから、それぞれの地域に即した自然保護のあり方を、それぞれの地域にかかわる人間が、作り上げていくしかありません。
それを考えなくてはいけないということを痛感させられたのが、読後のもっとも大きな収穫でした。
(ISBN4-88536-479-5 C0036 \1600E 2001,10 つり人社刊 2002,1,24 読了)