最近、あらゆるところで、「生き残り」ということばが聞かれます。
たまたま、国会中継を聞いていたら、議員が、「日本はITに力を入れないと生き残れない」と力説していました。
なんで〜? と思いましたが、政府側もそれを当然のように受け止めて答弁していました。
食いものがなくなる方が、はるかに生き残れないと思いますけどね。
頭わるいな〜。
そしたら今度は、「学校の生き残り」という話が、始まりました。
進学率を上げるとか、すごく特徴のある学校にしないと、閉鎖されてしまうんだそうです。
こういうご時世だから、それは、当然なことだそうです。
東京都の高校ではすでに、数値目標が設定されています。
「1次応募倍率1.3倍、部活動加入率82%」(飛鳥高)、「入試倍率3倍以上、説明会参加者1400人以上」(つばさ高)など。(埼高教の資料による)
入試の倍率を増やすことが、子どもたちに、なんの意味があるの?
埼玉県教育委員会のうそつきは、今に始まったことではありませんが、埼玉では、個々の教員にも、こうした人事管理の導入を検討しています。
これによって、しわ寄せをくらうのは結局、子どもたちです。
彼ら役人が考えてるのは、自分のとりあえずの生き残りだけでしょうが、大切なのは、目の前にいる子どもたちであるべきです。
どうせ作るなら、教育基本法の精神にのっとって、子どもや保護者に教員を評価させ、教員に管理職を評価させ、広く県民が教育長や教育委員を評価する制度を作るべきです。
どこの学校でも、すべての子たちをしっかり面倒みられるようきちんと手当てをするのが、行政の仕事なのに、つまらなく無意味な数値目標などに、学校を競わせ、校長を競わせ、教員を競わせて、どうしようというのでしょうか。
そんなばかばかしい競争へのおつきあいは、わたしゃごめん被ります。
こういう発想の土壌は、従来から日本の社会に存在していたと思われますが、これが激烈化したのは、バブル崩壊後のリストラブーム以降でしょう。
5年も前に書かれた本ですが、内容はとても新しく感じます。
サブタイトルは、「『職場いじめ』完全撃退マニュアル」とあります。
以前から、日本の職場に憲法は存在しないと言われてきましたが、それでも職場に「スキマと余裕」がある間は、多くの人がどうにか働いていられたのです。
しかし、極度の効率化を図った結果、仕事や会社の人間関係には、まったく潤いがなくなっていきました。
教育や福祉といった、人間関係そのものを業務内容とする分野も、そうなりつつあるようです。
それではどうやって、自分を守ればいいのか。
著者らが提案しているのは、「面従腹背」の生き方や、自分の能力の7〜8割の力で仕事をすることなどです。
滅私奉公しないものを排除しようとして、経営者は、さまざまに姑息な人事評価を考え出すことでしょうが、自分としては、人間らしくいたい。
わたしも、子どもたちに、のんびり行こうよ、と呼びかけることをやめないようにしよう、と思いました。
(ISBN4-426-25900-2 C0036 P1442E 1996,12 自由国民社刊 2001,12,11 読了)