大学の教養部のテキストという感じがしないでもない、日本森林史の概説書です。
しかし、美しい日本の森林がどのような歴史をたどってきたのか、という問題意識が一貫しているだけに、飽きずに、かつとても興味深く、読むことができました。
現代の日本人にとって、森とは、どのような存在なのでしょうか。
不気味で、非文明的だから、存在しなくてもいいなら存在しないでほしい、という人も多いと思います。
都会生活が理想であるなら、そういう考えもあり得そうです。
また、レジャーのための森や水源林として、快適でストレスの少ない都会生活を送る上で必要な限りにおいて、存在すればよいという考えも、あり得そうです。
寒暖の差が激しく、多雨・多雪で、変化に富んだ季節風の通り道に位置し、急峻に隆起する脊梁山脈を骨格とする日本列島の自然は、他に類例を見ません。
このように言うとすぐに、「それがどうした?」という返事が返ってきます。
「食っていけなければ、どうしようもないじゃないか」というのが、日本人の平均的なところではないでしょうか。
環境団体には、二種類あることがわかってきました。
一つは、なるべく環境に配慮して開発してね、というスタンスの団体。
ダム建設には決して反対せず、環境に優しいダムを作れというような主張をします。
そういうのでも、何も運動しないよりましだろうと思います。
しかし、実際のところは、ダム建設そのものが環境破壊なのです。
だから、環境に優しいダムなどというのは、破壊者を免罪する偽善以外のなにものでもない、という立場がありえます。
私はたぶん、後者のラジカルな方の立場です。
ラジカルな立場を突きつめていくと、「食う」ための開発は是か非かという問題や、文明生活は是か非かという問題に答えなければなりません。
結論的に言えば、私は、江戸時代中期から明治初年にかけての日本の経済のあり方に魅力を感じています。
古代国家形成期から封建社会成熟期に到るまで、日本人は天賦の森林をひたすら略奪してきました。
近世の支配者は、森林略奪が自分たちの経済基盤を破壊するものだということに気づき、森林略奪を制限するとともに、造林・育林技術の育成に力を注いできました。
近代日本が受け継いだのは、略奪しきれずに残っていた北日本の天然林と、近世の支配者によって作られた重厚な人工林でした。
そしてその後、日本の歴史最大の森林略奪が行われ、現代に到ったというわけです。
私は、文明を否定しません。 しかし、工業は、健全な農林業を前提として発達すべきです。
国民経済の基礎である農林業を破壊して工業化をすすめるなど、国家の自殺行為です。
江戸時代の支配者は、そのことに気づいたからこそ、発想を転換させたのでしょう。
21世紀にどういう日本を作っていくか。
ほんとうの知恵を出し合うことが必要ではないかと思いました。
(1998,8 築地書館刊 1999,5読了)