わたしも100円ショップ愛用者ですが、100円ショップは、グローバル経済の象徴だといえます。
100円ショップが登場した当時は、どうしてこんなに安く品物を売ることができるのか、不審感というより不安感を持って受け止めたような気がします。
当初は、スーパーの店先に品物を並べて、半ば露天商のような形で営業していた店が、いつの間にか大きな店舗のフロア全体を使って営業するようになったかと思うと、同様の大規模100円ショップがいくつも進出してき、当地のシェアを分け合ったようです。
この10数年ほどの間に、もともと大きな需要があるとは思えない当地でも、スーパーのチェーン店舗やホームセンターは、数倍に増えています。
かつては、100円ショップが現在果たしている役割の一部は、ホームセンターが担っていました。
大きな駐車場を持つホームセンターができただけでも、地域経済に与える影響は甚大なものがあります。
本書の中には、100円ショップの集客効果によって周辺の商店にも客が流れる側面もあると書かれていますが、日用品のほとんどをまかなえる規模の100円ショップは、昔ながらの金物屋や雑貨屋その他あらゆる個人商店の客を奪っているはず。
100円ショップによって地域が空洞化させられているというのは、まちがいないと思います。
それでは、100円ショップとは何なのか。
それを解明したのが、この本です。
100円ショップで売られている商品の仕入れ値はもちろん、100円以下でなければなりません。
思っていたとおり、100円商品のほとんどはアジア、なかでも中国製なのでした。
これらのアジア製商品の生産現場は、かつて塩沢美代子『メイドイン東南アジア』(岩波ジュニア新書)に描かれたような現代の女工哀史というイメージではありません。
ビジネスチャンスを虎視眈々とねらっている起業家が設備投資を行い、その周辺に住む老若の人々が現金収入を得るための働いというのは、日本でもごく普通に見られる中小企業の姿だといえます。
100円ショップの戦略は、これらの企業と商社などを通じた持続的な関係を築こうとせずに、現金による直接取引によって製品を仕入れることにより、流通コストを切りつめるという点にあります。
100円ショップと生産者との関係が持続することもありますが、持続は目的とされていませんから、生産者にとっては、きわめて不安定な経営を強いられることになります。
経営リスクを生産者が負わせることによって、100円ショップはコストを下げることができています。
100円ショップに製品を納めている企業の中には、中国・アジア各地で今後、大きく成長する企業も出てくるでしょう。
そこから伸びてくるのは、地域や国籍などの顔を持たない、グローバリゼーションの権化かもしれません。
20世紀末の世界と日本の経済は、まさにそのようなものとして変貌を遂げてきました。
しかしそれは、経済発展といえるのか。
そんなのはあまり人間らしくないからヤメタ方がいいよ、といいたいところですが、そのような経済の上に座っている日本人としては、言いづらくもあります。
100円ショップには、一部国産の商品もあります。
コストの徹底的な切り下げによって、人件費に数倍の差がある中国メーカーと競争している国内メーカーがあるのです。
ビジネスとはそういうものだと一蹴するには、あまりにも残酷ではないかと憤ってしまうような話が書かれています。
こんなグローバル化が、どこまで進むのでしょうか。
(ISBN4-906640-74-5 C0030 \1600E 2004,3 コモンズ刊 2005,1,4 読了)