ウクライナの最近の記事

歴史屋のアナロジー

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 独ソ不可侵条約(1939)が結ばれたとき、日本の首相は腰を抜かして辞任した。不倶戴天の敵同士だった反共国家と共産国家が手を結んだのだから、無理もない。
 しかし独ソには、独裁・帝国主義国家という共通点があり、二国が結ばれる必然性がないわけではなかった。が、独ソ不可侵はしょせん同床異夢だったであり、だまされたソ連は痛い目を見ることになった。
 いま、米露の連携が見え隠れする。ヨーロッパは、これへの対抗軸の形成へ動こうとしているが、それもまた、危険な道だ。

強制送還?

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 アメリカが「ロシアとの紛争から逃れたウクライナ人約24万人の一時的な在留資格を取り消すことを計画している」という報道あり(ロイター)。これがホントならウクライナ避難民の強制送還が始まることになる。

All come to look for Amerika

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 トランプは、「アメリカを再び偉大にする ! 」と叫び、共和党の議員たちが立ち上がって、手を叩きながら「そうだ ! 」と叫ぶ。民主党議員の数名が、首を振りながら議場から出ていった。
 偉大なアメリカとは、相手を見下し、さまざまな脅しによって言うことを聞かせる(これが彼のいう「ディール」だ)ことによって実現するのか。
 「トランプを怒らせたことによってゼレンスキーは失敗した」と評論しているのを見た。ウクライナ国民の命とウクライナの誇りの両方を守るために命をかけてるゼレンスキーに、これ以上なにを要求しようというのか。
 ポール・サイモンは、「アメリカ」という彼の曲の終わりを「All come to look for Amerika」というリフレインで結んだ。アメリカ人は、21世紀の今、どのようなアメリカを見つけたのだろうか。
 おれが初めて、おこづかいで買ったドーナツ盤がたしか、「アメリカ」だった。

20世紀の理性2

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 地球の一市民としては、20世紀の理性が健在であることを望みたいが、スターマー・マクロン・ショルツらが実際にそれを体現しているかは知り得ない。
 東ーロッパの分割(ルーマニア:ソ連が90%、イギリスが10%、ギリシア:イギリスが90%、ソ連が10%、ユーゴスラヴィアとハンガリーは英ソそれぞれ50%ずつ、ブルガリアはソ連が75%、その他の国が25%)を決めた(1944.10)のは、スターリンとチャーチルの二人だった。
 日本の千島列島をソ連に渡すと決めた(1945.2)のは、スターリン・チャーチル・ルーズベルトの三人だった。
 これらは全て、当事者抜きの秘密協定として決められた。19世紀であれば秘密にする必要もなかったのだが、さすがに20世紀半ばにこのような帝国主義まる出しの領土分割を大っぴらにはできなかったということだ。
 東ヨーロッパ分割を決めた、上記のいわゆる「パーセンテージ協定」は単なる手書きのメモだった。チャーチルは「何百万の人々の運命に関する問題を、こんな無造作なやり方で処理したことがバレるとまずいから、この紙は燃やしちゃおう」と言ったが、スターリンは、「いや大丈夫。取っとけよ」と答えた。そのあたりの経緯は、不破哲三さんの『スターリン秘史』(全6巻)に詳しい。

20世紀の理性

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 19世紀の世界では弱肉強食が当然で、経済力=軍事力のみが、国と国との関係を律する唯一のモメントだった。猛獣同士が食い合う世界にいきなり飛び込んだ明治の日本にとって、富国強兵以外に生きる道はないと思えただろうし、それは国内においてデスポティック(確か木戸の言葉だったと思うが確信なし)以外の政治形態はありえないと思えただろう。当否はさておき、それが19世紀世界の現実だった。
 20世紀になっても日本の指導者の認識は変わらなかった。しかし第一次大戦後、ウィルソンにより提起された「民族の自決の原則」が国際関係の基本ルールとして確立された。日本の指導者がこれを十分に理解できなかった結果が、十五年戦争と日本の破滅だった。
 冷戦期には、被抑圧民族が社会主義国と友好関係を作り、社会主義国が覇権的・帝国主義的な振る舞いを見せ始めると、「非同盟」という、それまでになかった国際的ブロックが形成された。冷戦終了後の民族運動は、大国の論理とは異なる次元において同時多発的に展開した。21世紀の世界は、一見すると複雑怪奇なカオスに見える民族運動を、非暴力と共生の論理においていかに包摂していくかが、問われている。
 プーチンによるウクライナ侵略は、歴史を19世紀に引き戻そうとする暴挙だったから、世界は、20世紀世界を律した原則に従ってそれを非難し、ウクライナを支えた。ところがトランプ大統領は、外交政策を決定するための原則を持たない。
 「支援が欲しければ、お前のところの(お金に換算できる)何かしらをこっちへよこせ」
 「なぜお前は感謝の気持を示さないのか」
 トランプの「ディール」は、プーチンとともに、世界を19世紀に引き戻そうとする試みである。20世紀の理性はかろうじて、スターマー・マクロン・ショルツらによって守られようとしている。

不当な平和

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 「不当な平和許されぬ」か。林さん、やるじゃん。日本の政治家がこんな言葉を吐けるとは。
 「もし、ある常任理事国があなたの国を侵略し、領土を奪った後で敵対行為を停止し、平和を呼びかけてきたとしたらどうだろうか」「私はこれを不当な平和と呼びたい。このような行為が許されるのであれば、それは侵略者の勝利となってしまう」

アナロジー

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 「ロシアとウクライナは話し合え」などと述べて、ウクライナ戦争の「落とし所」を探る動きが出てきた。歴史屋はアナロジーが好きなので、ごくまとめて、大日本帝国の満州侵略を振り返ってみる。

 1931年9月に満州事変開始。きっかけは柳条湖事件で、関東軍による謀略だった。中華民国と日本は戦争状態に入ったが、日本はこれを「戦争」とは呼ばず、「事変」すなわち「戦争」ではない戦闘状態とした。満州地方を占領した日本は、旧清国最後の皇帝だった溥儀を天津から連れ出して執政の地位につけ、満洲国成立を宣言した。満州国の実権は関東軍に握られており、満州は事実上日本の植民地となった。

 中華民国の提訴により国際連盟はリットン調査団を派遣して、柳条湖その他を調査した。調査団の調査結果は、日本に対しすこぶる妥協的なもので、満州における日本の権益も、傀儡政権の樹立も、日本軍の満州駐留さえも容認する内容だった。日本の侵略行動を非難つつも、欧米が実質的に容認したことに留意。にもかかわらず、1933年3月に日本は国際連盟を脱退。

 1933年5月に塘沽停戦協定締結。中華民国と日本は停戦した。蒋介石は、満州国の存在を容認して、河北省の一部を放棄した。ここで蒋介石が侵略者日本に対し、容認的姿勢をとったことに留意。

 1935年ごろ以降、中国・河北地方の満州国化を意図する華北分離工作開始。1935年11月、日本は河北省の一部に冀東防共自治政府を樹立。満州国同様の傀儡政権だった。中華民国内部に、日本との妥協をはかって事態を収めようとする「親日派」が発生するが、1936年12月の西安事件で蒋介石が国共合作に転換。これは同時に中華民国の対日非妥協路線への転換でもあった。大日本帝国の壊滅にとって、重要な転換点でもあった。

 侵略行動を一部でも容認することは、次の侵略行動の布石となる。歴史がそれを教えている。

ウクライナ

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 他国の一部を「独立」させ、傀儡政権として実質的に領土化するやり方は、第一次大戦後に一般的になった。大日本帝国が作った「満州国」はその好例だ。国際連盟は日本の行動を否定したが、制裁などはほとんど課されなかった。日本はその後、華北を侵し、さらに中国全土に侵攻した。今のロシアに対し、説得が極めて重要なのは間違いないが、同時に厳しい制裁が非常に重要だ。
1938年、ヒトラーのドイツはチェコのズデーテンを欲しがった。イギリス・フランスは制裁どころか、それぞれの思惑から、ヒトラーにズデーテン併合のお墨付きを与えた。このときヒトラーは、ズデーテンさえ得られれば、これ以上領土要求しないと約束したが、わずか一年で前言を翻し、チェコスロバキアはドイツに併呑され消滅した。ヨーロッパの人々は今、これを思い出しているだろう。

2025年3月

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