志賀原発は、地震当時、事故には至らなかったものの、一部の外部電源が失われた。新聞記事をちょっと追ってみれば、避難経路が事実上存在しないなど、問題だらけだったことがわかる。
地震から二ヶ月がたって、こんな記事が目についた。東奥日報の記事だからおそらく、共同の配信記事だろう。
それによれば、驚いたことに、壊れた外部電源は未だ復旧できておらず、なおかつ、復旧の見通しは立っていない。
北陸電力は、「何か手はないか一生懸命検討している」状態だという。
これはすなわち、でっかい余震が来たらお手上げかも知れない状態ということなので、真面目に考えてないわけではなかろうが、現地で暮らす人々にすればたまったものではない。
原発の最近の記事
東京新聞によると、原子力規制委員会は「家屋倒壊や避難ルートの寸断などは自治体側の検討課題」であり「自然災害への対応はわれわれの範疇外」だと考えている。「屋内退避ができる前提で今後の議論をする」とのこと。安全審査において、今回のように避難路が崩壊して逃げることができなくなる事態は想定しないということだ。
事故が起きるまでを規制委員会が対応し、もし事故が起きたら自治体が対応すると考えているようだが、先にも書いたように、自治体はなにも考えてないっぽい。
だから万一のときには、被災者は放射能が満ち溢れる中、放置される。
先に書いたように、規制委員会の再稼働は、原発の耐震性・耐潮性(という言葉があるかどうか知らないが)・外部電源の堅牢性等を検討した上で判断されるのであって、万が一のときに地域住民が無事に避難できる保証があるかどうかは、規制委員会の再稼働判断に含まれない。
再稼働に自治体の同意が事実上は必須なのは、万が一の際の住民避難計画(地域防災計画)を作るのは県と市町村だからだ。志賀町にも志賀町原子力災害避難計画(タイトルがおかしいのでひょっとして未完成かも)が存在し、「避難にあたっては、災害の状況に応じ、自家用車をはじめ、自衛隊車両や国、県、町の保有する車両、民間車両、海上交通手段などあらゆる手段を活用する」などと記されている。しかし、震災によって道路が寸断され、自衛隊が被災地へ乗り込むことさえ困難な状況下にあって、自動車で逃げることなどできるはずがない。
原発事故への対応は環境省が担当している。1月9日、「伊藤信太郎環境相は9日の閣議後会見で、原子力発電所事故時の避難対応での「検討課題としたい」と述べた。今回の地震では北陸電力の志賀原発(停止中)がある石川県志賀町周辺でも通行止めが起きた。全国の原発立地自治体などがつくる避難対応をまとめた地域防災計画で検証を促すべきか検討するという」(朝日新聞デジタル)。
官僚に書いてもらった作文を読んでるだけなんだろうが、「検証を促すべきか検討する」とはいったい、なにをすることなのか、本人も全くわかってはいるまい。
例年、地理の授業で、この美しい列島は地殻変動によって形成されたと教えている。
地震と火山の噴火は忌まわしいが、それなくしてこの列島が存在しないのだから、いかにかして自然災害とうまく付き合っていくのが、日本人の暮らしだ。
読売新聞によれば、「能登半島地震で、石川県珠洲市から輪島市、志賀町にかけて、沿岸部の海底が総延長約85キロにわたって隆起して陸地となっている」また「これに伴い、以前より最大約200メートル、海岸線が海側にせり出していた」とのこと。このような場所に、一度壊れたら列島に住めなくなるかもしれないものを作ろうという神経が理解できない。
志賀原発が立地する志賀町の町長は、昨年12月27日(大地震の5日前)に、「再稼働はすぐにするべきだ」(中日新聞)と語っていた。
昨年秋にアップロードされたと思しきこちらの動画では、能登半島では2022年以降、年間200回前後の地震が頻発し、巨大地震が迫っていると警告していた。
読書NO.1117。市民の会編『原発を止めた裁判官』
志賀原発二号機の運転差止め判決を書いた井戸謙一裁判官の講演を起こしたパンフレット。
志賀原発は一号機が1993年に運転開始。1999年に、国内で初めてとなる臨界事故を起こした(一号機)が、2007年3月までその事実を隠蔽していた。
二号機は2006年3月に運転開始。
同月に金沢地裁が運転差止め判決。
2009年3月に、名古屋高裁金沢支部が一審を覆し、運転差止め請求は棄却された。
2011年3月当時は点検のため停止中だったが、福島第一原発事故後に国内の原発が全て停止し、その後も再稼働することなく、現在に至っている。
講演は、原発問題だけに焦点を当てたものでなく、日本の司法制度、なかでも裁判官という仕事のあるべき姿について、フランクに語っておられる。
井戸判事は、志賀原発二号機は危険だと判断した理由として、三点あげておられる。
一点目は邑智潟断層帯が連動して動く可能性があるということ。邑智潟断層帯とは、能登半島の基部近くを横断するように走る断層帯で、今回地震の震源とは重ならない。
裁判当時の知見ではこの断層帯は全長44キロメートルで、これが連動して動くとマグニチュード7.6の地震が起きるとされていた。
これら能登半島付近の活断層の危険性については、保安院(当時)の資料にも記されている。
二点目は、直下型地震を起こす活断層の位置を確定するのは極めて困難で、ほぼ不可能に近く、活断層が錯綜する能登半島での原発立地は危険だということ。
三点目は、耐震指針の目安を決める際の基準地震動(想定される震度)が低すぎるということ。
例えば、判決後に起きた2007年の能登半島地震では、運転中に想定される最大地震動は375ガル、ありえないような地震が起きても490ガルなのに、実際に起きた地震動が711ガルだったことを述べられている(基準地震動はその後改定された)。
井戸氏の想定はほぼ、当たっていたと思われるが、福島第一原発の事故を見た氏は、「考えが甘かった」と述べられている。
列島とそこに住む人びとの暮らしを根底から破壊する原発事故については、どんなに深く考えても考えすぎることはないのである。
ではなぜ、原発の建設・稼働停止を求める住民裁判は負け続けるのか。
井戸氏は、裁判官が専門家の意見を否定することは極めて難しいからではないかと述べられている。
おそらくそうなのだろう。
最高裁判事として原発の安全性にお墨付きを与える判決を書いたのち東芝に再就職した人などは、例外だと信じたい。
志賀原発は現状、なんとか持ちこたえている。
幸運というほかないが、2011年以来停止しているから、燃料もある程度冷えているし、原子炉内でなくプールに格納されていたから、破滅的な事態に至らなかった。
しかしまだ、安心はできない。
加えて、「周辺の空間放射線量を測定するモニタリングポストが、15カ所で測定できなくなっている」(東京新聞)とのこと。
事故が起きたときの避難計画は、線量に関するデータに基づいて立案される。そのデータがないのだから、志賀原発に異変があったとしても、今のところお手上げである。
修理に行こうにも、道路が寸断されていて、どうしようもないとのこと。
志賀町では、2023年11月に、原発事故を想定した避難訓練を行っていた(NHK)。
訓練は活かされたか。
原子力規制委員会は、原発の耐震性や外部電源の耐性について判断するが、事故の際の避難については、原発自体の安全性と直接の関係はないため、避難が可能かどうかについての検討はなされない。
政府は、「各地域において、実効性のある計画が作成される仕組みとなっている」(答弁書)と述べている。
政府の言う通りなら、原発にもしものことがあった場合訓練でやった通り、住民は、志賀・輪島・珠洲あたりから、速やかに移動できたし、政府や県による救出・支援も容易だったはずだ。
しかし実際には、地震により道路は寸断され、最低限のライフライン供給さえままならないのが現実だ。原子力規制委員会は、原発の安全性については詳しく調べるけど、周辺住民の安全については「知らんけど」なんだということがわかった。
今回地震のほぼ震源に位置する志賀原発。
何が起きたかについては、東京新聞がコンパクトにまとまってる。
50万ボルトの外部電源が使えなくなったけど、27万5000ボルトの別系統が生きてるので必要な電源は確保できているとのこと。
冷却水ポンプが停止したけど、午後4時49分(最初の揺れから約30分後)に復旧したとのこと。
変圧器付近で油漏れがあり、燃料プールの水があふれたけど、深刻な事故ではないとのこと。
幸運と北陸電力の頑張りによって、原発は持ちこたえた。
このこと自体は、多とすべき。
志賀原発については2006年3月、一審金沢地裁で、運転差し止めを求める原告勝訴の判決が出ている。
二審の名古屋高裁金沢支部では2009年3月、原告側逆転敗訴。
最高裁で2010年10月、原告敗訴で二審判決が確定した。
名古屋高裁は「未知の断層による地震を最大マグニチュード(M)6.8と想定した北陸電の評価は妥当で、評価方法も最新の知見を採用している」として、M7.3を想定すべきだとした住民の主張を退けたのだが、今回の能登半島地震のマグニチュードは7.6だった。
原子力規制委員会が志賀原発の敷地内に活断層はないと判断したのは2023年のことだったが、活断層は「点」として存在するものではなく、「線」あるいは「面」として存在する。
能登半島全域にまたがる今回の震度分布を見れば、敷地内かどうかはなど、問題ではない。
敷地内に活断層はないからと言って「一日も早い再稼働」という話になど、なるわけがない。
今回の能登半島地震で動いた断層は「日本海まで長さ150キロに及んでいる可能性がある」(朝日新聞デジタル)とのこと。
専門家は、「今回の地震の震源となった断層はあらかじめ知られていた断層ではない」と言っている(TBS)。
しかも、「今回の地震とこれまでに知られている活断層との関係については「まだ検討が進んでいない」」段階とのこと(同)。
何もわかっていない状態なのに、敷地内に活断層がない(かどうかもまだ断定できないが)からと言って、地元の原発ムラマスコミはこの三月に、「再稼働「一日も早く」」などという記事(北國新聞)を書いていた。
経団連会長の「早期の再稼働を期待」は2023年11月だが、これも再稼働へ向けた一連の流れ。
阿武隈・移ヶ岳にて、足跡の主との対話。
(おれ) いつもナビゲートしてもらって悪いね。
(たぬき) 何だお前は ? おれは勝手に歩いてるだけだ。お前のことなんか、知ったことじゃねえ。
(おれ) 今日はやけに機嫌が悪そうだな ?
(たぬき) 早く消えねえと、ぶっ飛ばすぞ !
(おれ) なに怒ってんだ ?
(たぬき) この山にマイクロシーベルト撒いてるの、お前だろ。
(おれ) はぁ ?
(たぬき) 自分たちのとこの土だけはいで、除染したとか言ってるが、おれらのとこはどうしてくれるんだよ。
(たぬき) 原発は今でも放射能噴いてるんだぞ。悪いと思ってんなら、今すぐ何とかしやがれ !
(おれ) ・・・。
(たぬき) お前らがここ歩く資格なんか、ねぇんだよ。早く消えろ !
福島を忘れないことは大事だが、過去のこととして記憶したのでは意味がない。
福島第一原発は今なお大量の放射能を環境に吐き出し続けている。
2011/8/27付の日経新聞は、「経済産業省原子力安全・保安院は26日、福島第1原子力発電所1?3号機から放出された放射性セシウム137が、広島に投下された原子爆弾の168個分にあたるとの試算結果を公表した」ことを伝えている。この記事によると、「(保安院の)試算によると、セシウム137は福島第1原発から1万5000テラ(テラは1兆)ベクレルが放出された」という。
一方、2019年3月8日付のNHK政治マガジンは、事故原発からの2018年1月から2019年1月までの放射性物質放出量は9億3300万ベクレルで、前年の約2倍だったという。
除染という作業は、汚染された表土を剥ぎ取って袋詰めすることで、一定地域の表土の線量を減らすことだが、放射性物質が日々新たに放出され降下しているのだから、除染しても放射線量はいずれまた増加する。
忘れていけないのは、事故原発は、収束に向かってなどいないし、コントロールできている状態でもなく、今なお悪い方向に向かって進みつつあるということだ。
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