
ほぼ終日、小鹿野町の街歩き。
一ヶ月前とほぼ同じコース。
新発見多い。
上一の不動堂は明治20年に常盤屋の当主加藤恒吉氏が新勝寺から勧請したものとのことだった。
小さなお堂だが、施されている彫刻はタダモノでない。
お金に糸目をつけなかった常吉氏が建てたものとあって、すごいものだ。
街歩きの前と後に畑仕事。
落花生予定地の耕うんと潅水。
ほぼ終日、小鹿野町の街歩き。
一ヶ月前とほぼ同じコース。
新発見多い。
上一の不動堂は明治20年に常盤屋の当主加藤恒吉氏が新勝寺から勧請したものとのことだった。
小さなお堂だが、施されている彫刻はタダモノでない。
お金に糸目をつけなかった常吉氏が建てたものとあって、すごいものだ。
街歩きの前と後に畑仕事。
落花生予定地の耕うんと潅水。
終日、農作業。
ルバーブ小苗の植えつけ。途中まで。
なす苗4本植えつけ。
昼間は暑くなるが、明け方はまだ寒いので、アンドン防寒。
日曜日は遅霜かもしれない。
まくわ瓜と西瓜をポットに種まき。
写真は、小鹿野町不動堂の彫刻。
麦味噌の仕込み。
これで今年四度目。
これだけ仕込んでおけば、ある程度間に合うだろう。
じゃがいもの棚卸し。
チェンソーを研いでから町へ。
昨日、行われた鎮守の祈念祭の会計処理。
午後は、稲穂山公園で山林作業。
終わってから、畑で農作業。
ルバーブの植え替え。
じゃがいもの植えつけ。
今日は北紫を植えた。
帰宅後、再びチェンソーを研いで、仕事終わり。
写真は、薬王院の山門。
まぁまぁ朝が早かったので、そこそこすいていた。
各種用足し。
予定している研究報告を二本、夜なべで仕上げたので、眠い。
今夜は雨予報なので、期待が高い。
ただ、この低気圧は二つ玉なので、行ったあとは再び冬型で、寒気がひどそうだ。
観光スポットではないのだが、堺市に本願寺堺別院というお寺がある。
都会のど真ん中なので、案内図みたいなものがないと手も足も出ないのだが、スマホがあるので問題なくみつけることができた。
1590年の小田原征伐で本家が崩壊し、鉢形城も落ちたのだが、北条氏は断絶したわけではなく、北条氏規(氏政の弟・氏邦の兄)や氏直(氏政の子で小田原城主)は生きながらえた。
氏規の子孫は狭山に領地を与えられ、北条氏は一万一千石の外様大名として、江戸時代も存続した。 弱小大名ゆえ、城郭を構えることはできず、陣屋で領地を治めたが、幕末には財政が破綻し、維新直後に崩壊した。
狭山藩陣屋の北表門が、このお寺の御成門として移築されている。
北条氏関係の建築物で現存するのは、たぶんこれだけだ。
お寺にも門にも、北条氏に関する説明は何もなく、扉の金具もとれかけていた。
関東の覇者だった先祖が見れば、思うところも多かっただろう。
まぁまぁの冬型が続いているので、季節風が冷たい。
神社関係の用事で秩父神社へ。
夜祭も終わり、境内も、落ち着いた風情だった。
新薪棚の屋根乗せ。
おおむね終わったのだが、最後にいろいろと不都合が発生して、完成には至らなかった。
でももうあと少し。
石老山は顕鏡寺へ下山した。
写真は、蛇木杉と鐘楼。蛇木杉は樹齢400年とあった。
朝から昼前まで鎮守の感謝祭。
神社関係の会計等処理してから、畑へ。
夕方、畑に行って潅水など。
写真は、岩州公園界隈にある虚空蔵堂。
これを見つけるのに1時間ほど、登り降りした。
薬師堂も見たかったが、時間切れ。
朝から農作業。
そら豆とえんどう豆の種まき。
年内に植えるのは、あと玉ねぎだけになった。
午後はオンライン会議。
それが終わってからまた畑に行って、農作業。
さつまいも掘りその他。
日没まで働いて、終了。
写真は、四賀村の岩井堂。
お堂は修復されている。
郵便局や農協に用足しに出たついでに、畑に行って、草むしりと潅水。
トマトの片づけ終わり。
気温が上がったからか、ツクツクボウシが鳴いていた。
秋が近いせいか、ヤブ蚊が凶暴化してきた。
これは富倉山観音堂奥の岩穴に安置されたミニミニ観音堂。
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