
雪はほとんど積もらなかった。
ただ、気温が低いので、日陰の道路はシャーベット状態だ。
アスパラ残渣の片づけ。
煮豆。
白菜をキムチ漬け。
写真は、仁和寺中門の多聞天。重文。

雪はほとんど積もらなかった。
ただ、気温が低いので、日陰の道路はシャーベット状態だ。
アスパラ残渣の片づけ。
煮豆。
白菜をキムチ漬け。
写真は、仁和寺中門の多聞天。重文。

秋いんげんのヤグラの解体。
途中で雪が降ってきたが、とりあえず終了。
雪はしばらく降って、いくらか積もったが、ほとんど問題ない程度。
写真は、仁和寺山門の仁王。

氷点下4.4度とまぁまぁの寒さだが、この冬一番の寒さなので、けっこうこたえた。
留守にしている間に、いくらか降ったらしい。
たとえ焼け石に水でも、ないよりずっとまし。
畑もいくらか潤った感じ。
写真は、御室八十八か所の小堂。

一度下の通りまで下って、尊勝院へ登りかえす。
こちらは元三大師をまつるお寺だが、青面金剛をも併せておまつりしている。
声をかけてみたら、尼僧のかたがとても親切にご朱印を書いてくださった。立ち話少々。

雨の京都を散策。五条駅から歩き始め。
五条駅は清水五条駅と名前が変わっており、それもそれでさることながら、駅が地下にもぐっているのだった。
清水寺も六波羅蜜寺も通り過ぎ、路地に入って八坂庚申堂へ。
小さなお堂だが、参詣者はそこそこいた。
お参りして、ご朱印をいただいた。

御室仁和寺から成就山をひと回り。
あまりにも観光客が少なすぎて、驚いた。
中国の方がほとんどいない。
登山道に八十八の小堂が立つ。
ただかなり傷んでるのが多くて、数が多いだけに修理はたいへんそうだ。
山からお寺の境内に降りてきたところに、熊が出ているという掲示があった。

六甲山系・摩耶山。
荒れた雑木林の山かと思ったが、頂稜に近づくと立派な照葉樹林だった。
天上寺が焼けたのは1976年とのことなので、見る気になれば見ることができたはずだ。
山門は昔のままだとのこと。

1923年の9月6日、関東一帯が未だ騒然とするなか、埼玉県寄居警察署は具学永さんという飴売りの青年を保護していた。
流言に踊らされて殺気立った一般住民が、保護のため移送されていた朝鮮人を襲撃する事件が頻発していたからである。
埼玉県北部では、9月4日に熊谷で数十人、本庄で86人、神保原で35人が殺害され、5日には妻沼で、朝鮮人ではないが秋田県出身者が虐殺されていた。
寄居署でも、警察官の制止にもかかわらず、自警団員が署に乱入し、竹槍や鳶口などで具さんを殺害した。
事件後、住民有志が正樹院墓地に、具さんの墓を建てた。
一昨年から、寄居地域の有志団体(むくげの会)が、具さんの追悼会を行って、事実のさらなる解明と継承をはかっている。
2023年、松野博一官房長官(当時)は「(虐殺に関する)記録が見当たらない」と述べ、あたかも虐殺が事実として疑わしいかのような言い方をしてみせた。
これこそ、恥ずべき歴史修正の見本といえる。

秩父事件の研究会で、秩父市へ。
まずまず充実した内容だった。
会が始まる前に、また荒川村へ。
久しぶりに船川の千手観音に立ち寄り。
彫刻は超精細というわけではないが、物語性があって面白く、建物もお堂というより、神社に近い感じだ。
お堂前に築かれた土俵だが、以前はこんなにしっかり作ってあったかどうか・・。
こういう史跡はときどき訪れたい。

昼間は降らない予報だったので、西上州(群馬県安中市)の崇台山へ。
関東平野の小突起なので好展望なのだが、今日は見えず。蒸し暑さMAXで、標高300メートルに満たない低山ながら、けっこう苦しかった。
登山口と反対側に下山。
山裾を回って駐車地に向かう途中、長学寺で無事下山のお礼参り。
ご朱印帳二冊目がいっぱいになった。
登山のあとのご朱印集めを始めたのは、2019年に阿武隈(福島県広野町)の五社山から下山後、願成寺(国宝・白水阿弥陀堂)を拝観したときからだ。
証明することはできないんだけど、おれはご利益をっとも疑っていない。
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