
1923年の9月6日、関東一帯が未だ騒然とするなか、埼玉県寄居警察署は具学永さんという飴売りの青年を保護していた。
流言に踊らされて殺気立った一般住民が、保護のため移送されていた朝鮮人を襲撃する事件が頻発していたからである。
埼玉県北部では、9月4日に熊谷で数十人、本庄で86人、神保原で35人が殺害され、5日には妻沼で、朝鮮人ではないが秋田県出身者が虐殺されていた。
寄居署でも、警察官の制止にもかかわらず、自警団員が署に乱入し、竹槍や鳶口などで具さんを殺害した。
事件後、住民有志が正樹院墓地に、具さんの墓を建てた。
一昨年から、寄居地域の有志団体(むくげの会)が、具さんの追悼会を行って、事実のさらなる解明と継承をはかっている。
2023年、松野博一官房長官(当時)は「(虐殺に関する)記録が見当たらない」と述べ、あたかも虐殺が事実として疑わしいかのような言い方をしてみせた。
これこそ、恥ずべき歴史修正の見本といえる。









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