
今日もほぼ雨だが、やみ間に農作業。
草むしりとにんにく予定地の耕うん。
白菜の鉢上げ。
薪作り少々。
これは、御岩神社山門の仁王像。

今日もほぼ雨だが、やみ間に農作業。
草むしりとにんにく予定地の耕うん。
白菜の鉢上げ。
薪作り少々。
これは、御岩神社山門の仁王像。

終日雨降りだが、やんでいる時間もある。
蕪(味こがね)・野沢菜・大根(神田)の種まき。
草むしり。
のらぼうの鉢上げ。
写真は、御岩神社の山門。随神門ではない。

ほぼ終日、農作業。
大角豆片づけの続き。
草むしり。
のらぼうの鉢上げ。
苗が足らないので、のらぼうの種まき。
白菜も発芽不調につき、まき直し。
夕方から雨。
なにはともあれ、助かった。
写真は、鷲子山上神社のご朱印。

今日もありえない酷暑予想な上、明け方に26度と、この夏最高に近い暑さだったので、朝から農作業。
そして、朝から酷暑だった。
秋野菜の畝立て。
午後、秩父市の図書館へ行って、満州移民について調べもの。
写真は、鷲子山上神社の随神門。

鷲子山上神社へ。
駐車場からだとお参りだけになるので、登山口から歩いた。
登山道には見るべきものなし。
日曜日のせいか、山上神社はそこそこ賑わっていた。

アメダスで14時の気温が37.9度。ありえない。
エアコンなしで、自分がよく死なずに生きてると感心する。
畑仕事少々で、退散。
この暑さでは、種をまいても枯れてしまう。
自宅で満州移民について書き物。
写真は、荒川村の若御子神社。
慶長五年の造営という。
満州移民の先遣隊が渡満するとき、ここで安全を祈願した。

朝から畑仕事。
いつものように草をむしって、防草シートを張った。
そこそこ涼しいので、助かる。
Runの日。
村瀬興雄『アドルフ・ヒトラー』(中公新書)を読み終えた。
誇大でもなく軽視もされない等身大のヒトラーを分析している。
ヒトラーは、1920年代ドイツの大衆の思いをすくい上げた政治家だった。
1920年代ドイツ思潮の一つの柱は、ゆがんだナショナリズム、もう一つは排外主義である。
ワイマール共和国の苦難の歴史については、『ワイマル共和国』に詳しい。
ワイマール共和国の歴史から学ぶべきは、近代国家が理念により統合されることは、不可能だということだろう。
要はいかに、理念や価値観の折り合いをつけて、一致点に基づく協力を作り出せるかということだ。
ドイツの民主主義は、悪戦苦闘した結果、それに成功しなかった。
コミュニストやソシアリストたちは、何をしていたのか。
本書に詳述されてはいないが、「社会民主党も共産党も、その党内には官僚的で軍隊的空気が強く、党員大衆の中で自由な批判的精神をもつものはまことに少なかったので、上層部の指令に従順に服従する雰囲気と、組織内での異端や反抗を許さない偏狭な気風とができあがっていた」と、さらりと述べられている。
現在の日本と酷似しているのが、気にかかる。
写真は、津南町・諏訪神社拝殿の彫り物。

朝から草むしり。
昨夜そこそこの雨が降ったので、畑が潤った。
大豆の芽が出なかったところに追加の種まき。
らっきょう掘り。
あまりたくさん植えなかったのだが、収穫は1.5キロ。
持ち帰って下ごしらえ。
来年の種にすべき球もうっかり切ってしまった。
写真は、氷山から下山後立ち寄った赤澤神社の狛犬。
とても躍動的な狛犬だ。

東京へお出かけ。
40年ほど会っていなかった学友と旧交を温めることができた。
集合時刻に少し間があったので、いくらか街をぶらついた。
新宿区・穴八幡境内の建物や石造物は、ほとんど新しくなっているように見えた。
拝殿や随神門は塗り直されたのだろうか。
金運のご利益などと書かれていて、合点がいった。
1970年に早稲田大学の苦学生・山村政明さんが、革マル派の暴力によって心身ともに傷つき、ここで抗議の焼身自殺を遂げられた歴史は、すでに記録・記憶から消えたのか。
新聞配達をしながらやはり必死で学んでいた自分にとって、とても他人事とは思えなかった。
拝殿前の二本の大クスは、当時のままなんだろう。昔は樹木に関心はなかったな。

降ったりやんだりの天気だったので、畑仕事は、いちごの取り木少々だけ。
いろいろ用足しができた。
登山用ストーブ・ストームブレイカーが壊れていたので、メーカーに修理に出した。
昨年3月に一度、修理してもらったのだが、別のところの具合が悪くなった。
ずいぶん壊れやすいと思われるかもしれないが、たぶん前回修理から100回以上は使っているから、ハードユースにもかかわらず、非常に優れた製品。
先日、登山靴をソール交換に出した。
前回のソール交換以来、120日ほど使った。これで3回目。
まぁ、ころあいだと思う。
それはともかく、この靴はスカルパ社製なのだが、買ったお店(池袋某店)がなくなってしまい、そのお店から紹介してもらった栃木県の系列店まで、片道130キロほど走らなければならない。
ところが系列店さんは、スカルパ社代理店との取引がなくなったので、修理は受けられませんとのことだった。
これはほんとに仕方がない。
やむなく系列店さんから紹介していただいた一見のアウトドアショップに持ち込んで、修理を頼んでみた。
修理できるかどうかわからないけど、いちおう取り次いでみます。ダメならこの靴は当方で処分します、というお答えを聞いて、靴がとても哀れになった。
お店がなくなると登山用具はみなし子になるんだなぁ。
この靴で、鳳凰三山・八ヶ岳全山・和名倉山・甲武信ヶ岳・白峰三山など、けっこう厳しい山も歩いたので、哀惜感がある。
でも代理店で修理を受けてくれたと連絡あり。なんとかなりそうで、ほんとによかった。
店員さんに、心の中で手を合わせる。
この次の張替えは、どこに頼もうか。
もしやってくれるなら、また栃木まで走るのは、ぜんぜんノー問題。
写真は、富士吉田の新倉浅間神社。
最近のコメント