
朝早くから農作業。
大豆予定地の耕うん。
そら豆・えんどう豆の片づけ。
これだけで半日かかった。
午後は、オンライン会議。
写真は、高見山登山道下部。
杉の植林地で見るものに乏しいが、コアジサイがたくさん咲いていた。

朝早くから農作業。
大豆予定地の耕うん。
そら豆・えんどう豆の片づけ。
これだけで半日かかった。
午後は、オンライン会議。
写真は、高見山登山道下部。
杉の植林地で見るものに乏しいが、コアジサイがたくさん咲いていた。

農繁期で、終日農作業の日が続いたので、ちょいと出かけた。
高山御嶽山へ。
ことさら特徴ある山ではないが、トウゴクミツバツツジはほぼ満開。
山ふところの集落では、各種桜が満開。
行ってよかった。
明るい間に戻れたので、畑に行って、つくね芋の植えつけ。

朝からマホラ公園で山仕事。
その後、急いで秩父市に行って秩父事件研究会。
たいへんタフな一日だった。
写真は、桜山の寒桜。

お昼過ぎてから破風山へ。
6年ぶり。これで11回目。
奥武蔵や秩父の里山には、山の中にお茶の木が多い。
今はスギ林だけど、かつては、お茶畑だったんだろう。
杉が育って暗くなっても、お茶は枯れずにいるから、花も実も残っている。

天気が今一つのため、断続的に農作業。
ガーデンハックルベリーの種まき。
きゅうりの種まき。
以上は、ビニールポット。
春いんげんの種まき。
以上は、直播。
草むしり。
雷雨のため終了。

終日、草むしり。
大量の草を抜くのだが、抜く速度より伸びる速度のほうが早いので、雑草が次第に増えていく。
いちごの苗取り。
苗がいくつできたか数えてないのだが、目標はいちおう、60株。
これだと、1株に平均5個とれるとして、1シーズンにつき300個のいちごを食える計算になる。
こんな計算では、ダメかな。
いちご苗は自宅で養生しているのだが、かつて鹿に食われて全滅したことがある。
全滅だけはなんとか、防ぎたい。
写真は、ネジキの花。
生瀬富士ではツツジ類の花はほぼ終わり、ネジキが咲き残っていた。

所用で東松山に行ったのだが、午後にはフリーになったので、まっすぐ帰宅せずに下仁田まで高速道路を走り、川井山を歩いてきた。
登山道なし。まともに登れるルートもないのだが、細引きを使うほどでもなかった。
ミツバツツジはもう咲き残り。山桜はちょうどよく、ヤマツツジはこれから最盛期と言ったところだった。

下仁田の大山へ。
先月は道路に積雪があって登山口まで行けなかったのだが、今回アプローチに問題なし。
けっこう激しい急登・急降下の山だった。
ここもミツバツツジが満開だった。
下山後、日没まで農作業。
スイートコーンの種まき。
スイートコーンを作るのは20年ぶりくらいだと思う。
一度にたくさんできても困るので、とりあえず少しだけまいた。
帰途、南牧村で買ったアスパラ苗の植えつけ。

朝からほぼ終日、農作業。
草むしりと夏大根の種まき。
降り出したので終了。
八束城址でもミツバツツジがよく咲いていた。
夜半から明け方にかけて、フクロウとトラツグミが啼く。
薄明になるとコジュケイ・ウグイスなども鳴きだす。
ガビチョウも啼くが、この鳥はいないほうがいい。

甘楽町の天引城址へ。
天引城の由来については、明確でない。
ネットでは山内上杉氏の家臣・甘尾若狭守の居城という説が紹介されているが、根拠に乏しい。
数段にわたってていねいに削平された曲輪を見ると、地元の土豪の城かと思えるが、根小屋らしき一角や氏神・氏寺らしき寺社も見当たらないから、百姓の城だった可能性も否定できない。
永禄5年に、武田信玄が略奪した穀類をここに集積したという記録があるようだが、それだけではなんとも言えない。
明確な堀切は1ヶ所だけだが、山のあちこちに岩場を構え、防御性は高い。
ミツバツツジがちょうど満開で、美しいこと、この上なかった。
下山後、農作業。
こんにゃく予定地の草むしり。
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